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外廻りの役得(2月28日更新)

自分ではそう思ってなかったんだけど、
以前大学時代の先輩に

「外廻りの仕事って昼食が色んなとこで食べれるからいいじゃん」

と言われて、「なるほど」と思ったことがあります。

外廻りの仕事をしてると時間がないので、
どうしても同じ店ばかりになってしまうとか、
コンビニや吉野家など時間のかからないところ、
PCを開けられるファミレスに偏りがちになってしまいます。

でもせっかく車で移動できるなら
本当はそれを使わない手はないんですよね。

そんなわけで最近は少しずつ新しい店を開拓するようにしてます。
今日も調べてイタリア料理のはじめて行くお店に行ってみたんですが、
夫婦(?)ふたりで経営している店らしく
席数もせいぜい10席くらいしかないこじんまりしたお店だったけど
パスタからデザートまでがおいしくなかなかいい店だったと思います。

ガイドブックに載ってないんだけど、
それでいていいお店というのを発掘すると
ちょっと得した気分になります。

ちなみに

ぼく個人としてはドラマなどに出てくる
「OLが財布片手に昼にランチに出かける」
という丸の内辺りで見れそうな光景にも憧れますけどね(笑)

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試験会場は101(2月26日更新)

確か昨日は国公立大学の入試だった模様。

ぼくも7年前()は卒業した大学を受験したわけだけど、

正直前期日程の試験については

未だになぜ受かったのかわかりません…。

確かに筆記試験については

なんとなく「解けた?」くらいの感触はあったけど、

英語のリスニング問題に関しては全く意味がわからず

聞こえた単語を選択肢に見つけてマークした記憶が。

Newton」の名前までは聞こえたんだけど

彼が何をしたのか、何を言ったのか未だに知りません。

本当に絶望的な心境です…。

大学から大学の最寄り駅までの長い道のり(徒歩20)を歩いて帰り

前期はだめだったと思っているので当然

その後は後期試験に向けて小論文の勉強を始めました。

その後前期で受かっていることが分かったので

結局後期試験は受けることなく

そのまま大学に入り、そのまま卒業してしまいましたが

未だに自分の人生の中でも3本の指に入るミステリーです。

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Courage is…(2月23日更新)

Often the test of courage is not to die but to live.

と言うのは18世紀のイタリアの劇作家
アルフィエーリ(Conte Vittrorio Afieri)の言葉。

日本語の訳は
「往々にして、勇気は死ぬことでなく生きることによって試される」

短いフレーズだけど
なんだか印象に残る言葉だと思いました。

例えば西欧の騎士の時代や
日本の武家の時代。
そして戦時中の日本では
死を賭して戦うことに勇気と美徳が見出された時代だったけど、
何も勇気が試されるのはそこだけじゃないんですよね。

むしろ、矛盾だらけの社会や
厳しい現実の中で生きていくことだって辛く大変で、
そこで日々頑張る人だって勇気を持ってるに違いないんだろうな、なんて。
誰もがいつでも何かと戦ってるんだから、さ。

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バレンタイン紛争(2月21日更新)

ことの始まりはバレンタインの日。

うちの営業所には女性の方が3人いるんだけど、
今年のバレンタインは個人ごとに何か用意するのではなく
連名で大きめの箱のクッキーを買ってそれを
「女性陣からです」ということで営業所のお菓子置き場に置いてくれたんですよ。

それについてぼくなんかは
「効率いいやり方だな」
くらいにしか思わなかったんだけど、
これが思いの他営業所の一部ではくすぶってる(た)らしんです。

というのも

バレンタインデーの対極(?)はホワイトデーですが、
その際のお返しを考えはじめた際に
男性陣がいくらか出し合って女性陣にお返しをするのが妥当なのに

「あのバレンタインデーのやり方は納得いかないから自分はお金も出さない」
という人達がいるとかいないとか…。

一人ひとりに渡されたわけでもないのに
お返しをするおが納得いかないそうです。

それを聞いて正直あきれました。。。

社会人なんだから気持ちを受け取って
それをお返しするくらいの話なのに、
それを「納得いかないから」なんて
そういうとこにこだわる辺りがなんとも情けないというか…。

ぼくなんかは人から強制されるのが嫌いな人間なので
やりたいことはやればいいし、そうでなければやらければいいという考え方。
本来バレンタインデーだからって
会社の女性が男性にチョコをあげなきゃいけないわけじゃないと思うんだけど、
それをさも当たり前のようかに考えている人達には疑問を覚えます。

バレンタインデーの習慣自体は近代のものなのに、
その根底にある固定観念は旧時代のもの、というのはどうなんだろうね。

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ブログ始めました。(2月17日更新)

タイトルを見て

「何をいまさら?」

て思った人もいるかもしれないけど、
別にここのことじゃありません。

実はもうひとつ別にブログを立ち上げちゃいました。
ネットワークの墓場に行ってしまったブログを合わせると
いくつめのブログなんだろう…。

今回新しいブログを立ち上げた契機なんだけど、
まだまだ自分が子供なせいか
昔から新しいモノや珍しいモノへの興味が強く
ブログのテーマでもそうしたものを取り上げることが多かったんですよ。

それだったらそういうものに特化したブログがあってもいいかな、
と思ったのが契機。

ちなみにブログのタイトルは『IL MONO イルモノ』。
MONOは日本語なんだけど、
MONOという単語をイタリア語の男性名詞に見立てて
(男性名詞は語尾がOで終わるものが多いんです)
ILという冠詞をつけたのが由来。カフェっぽいでしょ?(笑)
ブログのイメージも欧米の家具店をイメージしてみました。

内容は毎回ひとつのモノを取り上げて
それについて感じたことやエピソードを書いてみようかな、
なんて思ってます。

ここのブログもそのまま継続していくので
これからは2つを併走させていく予定です。

時間のある時にでも
覗いてもらえればな、と思います。
よろしく!

『IL MONO イルモノ』

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広場のない風景(2月14日更新)

イタリア語のPiazza(広場)
という単語を見たときに思ったことなんだけど、
基本的に日本って広場らしい広場がない国な気がします。

ウィーンに行った時も、
大きな道の交差する場所や
シュテファン寺院のような建造物の前には
大きな人があって
人が行きかっている光景が印象的でした。

ウィーンに限らず
ヨーロッパの多くの国では
広場という空間がある気がします。

広場はそこに何がある、てわけじゃないんだけど
人が通り過ぎたり、会話をしたり、
食べ歩きをしたり、楽器を演奏したりと
特別な役割を持たないからこそ
様々な表情を見せる空間であるところが
広場のおもしろい所だと思うんです。

だけど日本の場合は
そんな機能をもたない空間(ほんとはあるけど)を
そのままにしておくほど土地は余ってないんでしょう。
あればあっと言う間に開発されてしまう気がします。

日本にも大きな広場ができれば
日本人の生活のスタイルや
時間の流れ方がちょっとは変わりそうだけど
どうかな?

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Digital Age Casualties デジタル社会になくなったもの(2月11日更新)

今日はNHKラジオ講座「ビジネス英会話」の中からのテーマで
Digital Age Casualties デジタル社会になくなったもの。

今回のテーマの中で例として取り上げられたのが郵便ポスト。
アメリカでここ数年で数千個単位で廃棄されているそうです。

日本では既存のポストが撤去された例というのは
まだ聞いたことがないけど(ぼくが知らないだけかもしれないけど)
郵政民営化の中で人口の少ない村などで郵便局が閉鎖になり、
無医村ならぬ無郵村(?)が出てきているという話は耳にします。
そう考えると日本でもポストは減少する一方なのかもしれません。

確かにインターネットや携帯の登場によって
従来の郵便が担っていた役割は譲り渡された所があると思います。
内容証明郵便などのように、郵便でなければできない役割は残っているので
この先も郵便は存続すると思うけど、その傾向がいつまで続くのかは
正直わからないな、とも思います。

わざわざ仕事中や休みの日に近くにある郵便局を探す。

これって結構面倒なことなんですよね。
ひとくちに郵便局といっても行ってみたら
「振込みができない郵便局だった」という経験もあったりして、
利便性の求められてく風潮の中では
郵便局単独で生き残っていくのがどうか、
懐疑的な側面も残ります。

それから今回のテーマの中で
他にも取り上げられていたのが「電話ボックス」

かのスーパーマンが変身したのは「電話ボックス」だし、
「○○トンネルを出たところにある電話ボックスに深夜0時入ると
電話がかかってくる…」みたいな怪談の舞台になったのも電話ボックス。

単に通信手段としての場だけではなく、
昔からあったものはその時代の生活の舞台やシンボル(icon)だったりするんですよね。
今の小説を読んでみるとわかると思うけど、
今では小説の登場人物は専ら携帯電話を使って話していて
電話ボックスに入る登場人物なんてほとんどいなくなりました。
こうしたところにも時代の変化は如実に現れてるんですね。

ポストや電話ボックスには個人的な思い出もあって、
だから使う頻度は少なくなったかもしれないけど
姿を消してしまうことにはやっぱり残念さが残ります。
それは同世代の人だったら同じなんじゃないかな。

最後に

『USA Today』の中でこの四半世紀のうちに
ほぼ消えてしまったものとして
Hand-crack car windowsが挙げられていました。

確かに昔のタクシーなんかでは
窓を開けるのに窓の下についていたハンドルを手動で回していた記憶が…。
いつの間にかさりげなく姿を消してたんですね。

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深夜をひとまたぎ(2月7日更新)

最近気づいたのは
仕事って探せば際限ないな、てこと。

仕事が全部片付くことは稀で
大抵は「この日はここまでにしとくか」
という妥協になってしまうんですよ。

昨日も結局仕事が終わったのは深夜1時。

できるなら日付が変わる前に終わらせたかったけど、
なかなかそうもいかないんです。
次の日になれば新しい仕事が増えてることを考えると
出来る限りのことはやっておかないといけないし。

学生と社会人の違いってたくさんあるけど、
やらなければいけないことに境界がない辺りも
大きな違いのひとつかな、と思います。

ちなみに今日は午後10時の時点で
自宅のPCの前に座ってるので、
いつもよりは機嫌がいいかも?

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間接照明にも憧れるけど(2月3日更新)

「東京が雪で大変」というニュースを見ながら
「こっちではそれが普通なんだけど」と
思ったり思わなかったり。

それはともかく…。

部屋の模様替えをするときなんだけど、
ぼくがいつも憧れるのが『生活感のない部屋』

それは人によっては
「ホテルの部屋」のようだったり
「秘密基地」のようだったり
「外国の部屋」のようだったりと
色んなパターンがあると思うんだけど、
とにかく生活感を感じさせない部屋作りというものには
昔から憧れをおぼえます。

ところが、この『生活感のない部屋』というのが非常に難しく、
ともすれば『生活できない部屋』になってしまいがち。
その境界ってあやふやなものなんですよ。

生活感を感じさせないように
生活必需品をなくせば生活ができなくなるし、
過剰に収納してしまうとやっぱり生活がしづらい。

例えばアイロン台とかインターネットの配線、
ゴミ箱なんてものは生活の中では必要なんだけど、
部屋のコーディネートの中で考えると
扱いに困るやっかいなやつなんですよね。

生活感のある部屋の方が過ごしやすいには違いないんだけど、
コーディネートにもこだわってみたい!
そんな二律背反に今日も板ばさみ。

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