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コンピュータになれない人間(10月27日)

『マルチタスク』という言葉は
元々はコンピューターの用語だったと思います。

エクセルやワードを立ち上げながら、
エクスプローラーも同時に立ち上げ調べ物をする。
こんな風に、異なる作業を平行して
同時に行うことをmultitaskingと言います。

ところがいつの時代からか、
人間もこのマルチタスクを目指すようになってきたと言います。
これは誰もが心当たりがあるんじゃないですか?

音楽やテレビを点けながら他の作業をしたり、
仕事の時でも携帯で話しながら手はタイピングをしていたり…。
かく言うぼくも、洗濯機を回してる間に掃除をしたり、
日曜日の夕方はアイロンがけをしながらテレビを見てみたりと
普通の人並みにマルチタスクをしてる気がします。

ただ、こうやってマルチタスクをしていて、ふと
「本当に作業効率は上がっているんだろうか?」
と疑問に思ったことはないですか?

例えば携帯で話しながらPCをいじっている時、
携帯の相手の話を100%理解してる人っているのでしょうか?
そしてPCの画面に打ち込まれた文章に
誤字や脱字がないと言い切れるのだろうか・・・。

行っている作業の量は確かに増えてるけど、
心なしか低下してきた気がしなくもない作業の質。

作業のパフォーマンスが仮に

パフォーマンス=質×量

で計算されるものだとしたら、
実は質が下がってることで
目指そうとしたパフォーマンスの向上って
得られてないのかもしれないですね。

昔と比べれては誰もが忙しくなってきたし、
こなさなければいけない作業も増えてきたので
ひとつの作業にかける時間を短縮する手段として
マルチタスクを取り入れてきたのは分かる気がするんですよ。

だけど、どんなに頑張っても人間の体はひとつしかないし
脳もやっぱりひとつしかない。
人間の脳はコンピューターと違い
残念ながらいちどきに考えられる思考は
ひとつしかないと思うんですよね。
(もちろんそうじゃない人もいると思うけど
ここではあくまで一般論で)

そうやって考えると
マルチタスクをすることで
実際に仕事の効率が上がっているのか、
それとも単に
「仕事をした気になってるのか」
見極めるのも大事な気がします。

世の中には平行して片付けるよりも、
ひとつずつ片付けたほうがいい仕事もあると思うので
どうやらその辺りの使い分けが大事なようです。

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も…萌え?(10月26日更新)

猫耳って…いいよね。



 
Du、とうとうそっち方面に走ったか・・・   





ご、誤解ですって!!  



猫耳は猫耳でも、
今回は人間の猫耳の話じゃないんですよ。
猫耳になるのは



『新幹線』です。




東北新幹線では将来
350kmで走る新幹線を導入する予定で
新しい新幹線を構想しているんだそうです。


その中ででてきた案というのが


猫耳のついた新幹線



なんじゃそら?という感じですよね(笑)



ただ猫耳といってもちゃんと意味があって、
屋根に猫耳状の開閉する部品をつけることによって
ブレーキをかける際の空気抵抗を利用して
減速するのを補助するんだそうです。


つまり常に猫耳がついてるわけじゃなく、
ブレーキをかけるときに猫耳が開き
減速の手助けをするんだとか


これがですね…




電車マニアの間では大きな話題
となったそうなんですよ。   

まぁ、実現したらその姿だけでも
マニアの人にとっては涎ものでしょうからね~。




ところが。




検討を重ねた結果、
最終案でこの猫耳構想(?)の部分は
削除されてしまったそうです。

というのも、冷静になって考えると
350kmもの速さで走る新幹線を
屋根の上につけた猫耳ごときでとめられるはずもない、
それが削除の理由だそうです。


結局のところ、
新幹線の猫耳構想は
マニアの方々を期待させるだけさせて
結局絶望の淵に突き落としたところで
夢物語となってしまいましたとさ。



まぁ、僕としてはどっちでもいいんだけど、
東北新幹線を利用する人間としては
猫耳のついた新幹線というのも見てみたかったかな(笑)
ちょっとだけ残念です。



以上、猫耳好きのDuがお送りしました。

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文化祭から劇が消える日(10月21日更新)

先日たまたまNHKを見ていたところ、
最近中学校の文化祭の劇で著作権が問題になっているという
興味深い特集をやってました。

文化祭などで劇をやることってあると思うんだけど、
それに対し、著作者側が

「お金(著作権料)を払わないなら公演を認めない」

と主張するために、
中学校側は劇を変更せざるを得なかったというのが
この事件の要旨。

中学校側は「あくまで教育の一環」であるし
「お金をとって公演するわけじゃない」と主張するのに対し、
著作権者側は「劇として勝手に内容を縮めたりされるのは
同一性保持権の侵害にあたる」と主張。

『同一性保持権』というのは
名前のとおり著作物の同一性は保持される、
という権利のことなんだけど
わかりやすく例をとるならば

「パロディは認めない」
という考え方のこと。※かなり短絡的に言えばね。

つまり本来作品はそのままの状態で価値があるのであって、
それをいじったり勝手な解釈をすることは
元の作品本来の価値を損なうもの、とする考え方のこと。

今回の問題で言えば、
作品を恣意的に短縮して公演するということは
本来の解釈から外れたり、作者が意図した部分が抜け落ちることもあるわけで、
同一性保持権の観点から認められないというのが著作者の主張の模様。

色んな考えの人がいるんだな、というのが
今回の問題に対するぼくの正直な感想ですね。

ぼくだったら自分の作品が文化祭の劇であれ
公演されたら色んな人に見てもらえるわけだし
結構歓迎すると思うんだけどなぁ。

…ま。ぼくの作品なんてないですけど。

ともかく!著作物というのは
本来公開されていくことから考えても
著作者のためだけではなく、
広くそれを目にする人のものでもあるわけです。

日本の著作権法の本来の趣旨は
「文化の発展に寄与」すること。

芸術作品というのは
音楽にせよ、絵画にせよ、本にせよ、
それを手にする相手の存在がなければ
その価値も存在しないものだと思うんですよ。
だって絵だって見る人の感性があって
初めて完成し価値が生まれると思うので。

そう考えると、著作者や国が
必要以上に著作物を囲っていくような世の中に
これからなっていくようであれば
ちょっと心配な気がします。

もっとも、もちろん著作者には
自分の生活がかかっているわけなので
そうした人たちへの敬意とインセンティブも
大事だとは思いますけどね。

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滅入る(10月14日更新)

アメリカではメールをどんどん溜め込む人を

「hoarder」

次々削除する人のことを

「deleter」

と呼ぶそうです。

学生だって大変だと思うけど、
社会人の場合、日を通して
結構大量のメールを送受信します。

送信の方は特に気にならないけど、
受信のメールというのはほっておくとすぐ溜まり

「メールボックスの容量を超えています」

とすぐ表示されてしまうんですよね。

だから社会人の場合、
メールボックスの中のメールに対するスタンスって
結構大きな問題だったりします。

ぼくの場合溜め込むと大事なメールが
不必要なメールの中に埋もれてしまうので
基本ざくざく削除していきます(I'm a deleter)。

だけどメールを削除するときの精神状態って
結構落ち着いてないときだったりするので、
実は必要なメールを消してしまっていたり、
みんなは知ってるのにぼくだけ見た記憶がないメールがあったりと
トラブルになることもたびたび。

先日、会社からのメールで「人権標語の募集」
というメールが来ていたので
即刻削除したんだけど(業務には関係ないので)
後になってうちの営業所の所長が

「全員提出してもらって後で読ませてもらいます」

なんて言っていたことを知り、さぁ大変。
慌てて後輩からメールを転送してもらいました。

こういう事例は稀だけど、
最近は、簡単に送れて簡単に削除できるメールって
なんだか(物理的にも、価値的にも)軽いな、と感じますね。

そんなわけで、こちらから送る場合でも
「相手はちゃんと読んでくれるんだろうか?」
と不安になることもあります。

デジタルの文字が氾濫する時代にあって
手書きの温かさが見直されてる風潮というのも
なんだかわかる気がします。

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上司を操る(10月13日更新)

NHKラジオのビジネス英会話で
こんなアメリカのジョークがあること最近知りました。

What's the differnece between your boss and time?
You can kill time .
(上司と時間の違いは何か?時間のほうはつぶすことができる)

働き始めた社会人の場合、
自営業でもない限り必ず「上司」というものが存在して、
しかもその後も上司とは付き合っていかなければいけません。

だからNHKテキストの作者は経営本の中には
「部下の管理」だけでなく「上司の管理」の項目も加えるべきだ、
ということを提言していて、ぼくも「なるほど」と納得していまいました。

残念なことに(ほんと残念!)働き始めたぼくらには上司を選ぶ権利というのはありません。
(逆は可能かもしれないけど。もちろんパワハラの問題はあるけどね)
したがって仕事をする上ではうまく上司と付き合っていかなければならないわけですよ。
そうしなければ自分の利益にならないばかりか不利益にすらなる可能性もあるので。

そして「上司とうまく付き合う」というのは何も上司の迎合することだけではなく、
自分の仕事の上で上司を利用することも含まれます。

顧客との関係を維持するために上司と同行したり、
クレーム対応のために上司を連れていく。
情報収集にあたって上の部署との連絡を頼む。

上司の性格・長所・短所・過去の営業の経験・人間のパイプライン
そうしたものを把握した上で、

自分の仕事のどのポイントでこの上司は利用価値があるか?

それを判断するのは仕事を遂行する上でとても大事だと思います。
上司が部下を評価するだけでなく、
部下も上司を評価すること。これも大事なことだと思います。
そして上司はそういう目で部下に見られてることを
受け入れなくてはいけないと思う。

「部下に評価されるなんてとんでもない」

なんて言って、地位や肩書きだけ振りかざして
部下の仕事(ひいては顧客)のためにならない上司であれば
その席にいる必要はないと思いますしね。
上司は部下の管理者であると同時に、
最も仕事のできる見本であるのが理想だと思います。

論語の中にある

『勇将の下に弱卒なし』という言葉。

元々は「優れた統率者の下には、自ずと優れた部下が集う」
という意味なんだけど、
逆に見れば上司のアビリティが低ければ
その下の部下のアビリティも向上しない、ということ。
気持ちの上では「反面教師になって部下同士は結束」
というのはあるかもしれないけど、
やはり仕事を遂行する上では
利用できるパイプラインや指導が欠けるという点で
上司ができない人、というはいただけない…。

上司には自分のことを顧みてもらうことを期待しつつ、
ぼくらはぼくらにできることをやるしかないのです。

つまり

上司の弱いところをフォローしつつ
上司の強みを自分の仕事の上で利用する。

某警察ドラマじゃないですが、
やりたいことを存分にやりたいなら
早く偉くなることですね。

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いたりあ~の(10月11日更新)

この10月からラジオで
イタリア語の勉強を始めたんですよ。
いつもどおりNHKラジオ講座です。

実をいうと今まではイタリア語って
ほとんど興味なかったんですよね。

外国語って、なんとなくだけど
言語によってそれを学ぶ人の性格ってものがある気がするんですよ。

例えば

ドイツ語は基本的に
「まじめ」というか「堅実」というか
そんな人が学ぶ気がします。  


フランス語を学ぶ人は、なんとなく…

フリフリのスカートをはいているイメージが(笑)
(これを人に話すとみんなに笑われるんだよなぁ)


そしてイタリア語を話す人は
「開放的」というか「楽観的」な感じで
人と話すことが苦にならない人が多い気がします。


とりあえず身近にいる
イタリア語を学んでいる知人を思い浮かべると

「あ、僕は違うな」

と思い、イタリア語には手を出してこなかったんですよね。
え?どういう意味かって?それは内緒です(笑)


だけど言語に関して食わず嫌いがあるのは
なんだかもったいない気がしてきました。
食べ物に食わず嫌いがあるのは仕方ないけど
(だから海老が食べれない人がいるのは仕方ない!)
言語に関してはそうやって自分で可能性を狭めるのも
なんだかなぁ、と思って今回挑戦することに。


実際のところ、もともと僕はラテン語は好きだし、
ラテン語に近いイタリア語はやってみると
なかなか興味深くおもしろいな、と感じています。


しかもイタリア語って、
日本人にも意外となじみ深いですしね。


Ciao(チャオ)の挨拶なんて大抵の人は知ってるし

Uno(ウノ)も「1」をあらわすイタリア語。

てなわけで

イタリア語をマスターして
そのうちイタリアに
ジェラートを食べに行きたいと思います
<ええ。そんな理由ですとも。

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カタツムリのようにゆっくりでも(10月7日更新)

あなたは勇気がありますか?

この質問に「Yes」と答えられる人は
いったいどれくらいいるんだろう。

もちろん世の中には色んな勇気があるから
簡単には答えられないかもしれないけど、
最近はそもそも『勇気』って言葉を使う機会すら
少なくなってきたような気がしますね。

かく言うぼく自身も「勇気がある」なんて
自信を持っていうことなんてできないけど、
ひとつだけ自分で持ってると思うのは
「やらないで後悔するよりやって後悔する勇気」

ま後悔することには変わりないですね(笑)

それでも、どうせ後悔するなら
「やらないで後悔」するより「やって後悔」する方がぼくは断然いい。
何かに自分の人生を決められるくらいだったら
自分で後悔に飛び込むほうがいいじゃないですか。
どうせ失うものなんてもってないんだから。

ぼくは今までの人生でこうした岐路に立たされたとき、
必ず「やって後悔する」ことを選んできた気がします。
やったか、やらなかったかの違いって
それこそ0か1の違いがあると思うんですよ。
差は1でしかないけど、片や存在せず、片や何かが存在するという違い。

そもそも「やらなくて後悔」したときのなんとも言えない気持ちって、
ぼくはほんとにやなんですよね。
できもしなかったことや、「もしやっていたら来た未来」のことを
ああでもない、こうでもないと考える。
閉ざされた扉の向こうを語るのはひどく疲れるだけじゃなく
前へ進むエネルギーも消費している気がします。

頑張るしかないと思える瞬間って
世の中確かにあるんですよね。

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全日本合唱コンクール(10月3日更新)

さて、合唱の世界には
2つの大きな大会があります。

ひとつが小・中・高校生までが参加できる
『NHKコンクール』
これは聞いたことがある人もいるのでは?


そしてもうひとつが
中・高校生、大学、職場、一般が参加できる
『全日本合唱コンクール』
昨日はこの後者の東北大会に参加してきたんですよ。


大会は「県大会→地区大会→全国大会」と続くので
昨日上位に入れば全国大会だったんだけど、
その結果は…




『ダメ金』でした・・・




賞は銅賞・銀賞・金賞があるんだけど、
この金賞というのがまた曲者で
金賞の中にも『全国大会へ進める金賞』と『そうでない金賞』
があって、お分かりのように『ダメ金』とは後者のこと。



というわけで




僕たちの夏(秋?)は終わりました。
ま、いい経験になったと思いますよ。




にしてもやっぱり(バスで)青森は遠かったなぁ   


夜19時に青森を出発したんだけど、
郡山に着いたのは深夜2時半ですからね…。
もう月曜じゃないですか。。。



パーキングエリアに何度かバスが止まるんだけど、
段々バスから降りてくる人がいなくなってました。
※みんな眠ってしまったからです。



まぁ、僕もご他聞に漏れず椅子を2つ使って
かわいく(?)丸まって寝てたんですけどね(笑)

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