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感じた通りにGoin'(8月31日更新)

いまさらですが、ぼくは直感人間です。

見た目は「理系」「論理的」etcと言われることが多いけど
実際は「文系」「感情的」etcとまるっきり逆(笑)
普段も、物を見たときに深く考えず連想したことを
よく口にしたりしてるんですよ。

新しく配られた疾病のテキストの色の組み合わせを見て
「ココアシガレット」のパッケージの色の組み合わせと一緒だ、
と言ってみたり

友人の子が持ってるミニポーチの柄を見て
「チェルシー」のパッケージに似てるな、なんて言ってみたり。

そういえば、以前同期の友人に「言葉の選び方が上手い」
と言われたことがあるんだけど、そのときもやっぱり
そのものを見てパッと浮かんだことを口にしたら
本人的に意外なほど受け入れられたことがあります。

ところでよく直感は非科学的だと言われ
論理的思考よりも下に見られることが多いけど、
ぼくは全然そう思わないんですね。

小学生の頃にアガサ=クリスティの「ABC殺人事件」
という推理小説を読んだんだけど、その中で
主人公のポアロという探偵が助手に勘について
語る場面があります。
そこでポアロは

勘というのは全くの非科学的なものではなく、
それまでにその人が蓄積してきた『知識』や『経験』が
無意識に働くものだ

ということを語っていて
「へぇ」と感じた記憶があるのです。
それ以来直感や勘というものに対しての
考え方が変わったかなぁ。
勘だって捨てたもんじゃないんだ、と。

要はダウジングなんかと一緒なんだろうな、と思います。
昔の日本の水道局が水源やパイプの破損位置を
地上から探す際にダウジングを使っていたのは有名な話だけど、
あれも結局は人間が意識しない過去の経験や記憶が
無意識に筋肉に信号を送ることから起こる現象(て言われてます)。

世の中に多くある考えても始まらない事態。
そんな時はぼくはしょっちゅう直感と運に委ねたりします。
後から取り返せないことなんてそうそうあるもんじゃないからね。

ところで明日から世の中は新学期。
これで今年の夏も終わりかと思うと寂しい気もするけど、
気候のほうはしばらくは夏そうな感じだなぁ。

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アフター6のすごし方(8月26日更新)

昨日は週末ということで
お台場の東京ジョイポリスに行ってきたわけです。

講義が5時半に終わったので、その足でそのままお台場まで歩き、
スーツ姿で浮いている中「お台場冒険王」をちらっとのぞき、
そのまま同期7人で2時間くらい飲んでからたまたま見かけたジョイポリスへ。
遅くに行ったから1時間半くらしか回れなかったけど
結構楽しめたような気がします。おもしろかったなぁ。

当初の予定ではディズニーランドのアフター6に行く予定だったんだけど、
メンバーのひとりがダブルブッキングして来れなくなったため
急遽変更して飲みになったわけ。これでうちのメンバーの
TDLのキャンセルは2回目。それでもあきらめず、次回は9月中に
再度行く予定でいるんだけどね。

前にも話したように、昨日出かけたメンバーていうのは、
実をいえば研修の最初の4・5月まで同じグループだったメンバーで
今はクラスも班も違うから会う機会も少なかったりするんだけど、
それでもちゃんと付き合いの続いてる不思議なメンバーです。
他に班にも不思議がられているけど、仲のよいのいいこと。
人に恵まれてほんとよかったと思うな。

以前友人が言っていたことで印象に残ってたことがあって、それが
「MRになろうとする人は一人でも過ごせる人」という話。
MRになろうとする人というのは
誰かと常に行動していないといけない、ていう性格よりは
一人でいる時間も苦にならないし、一人でいることにも慣れている、
というような意味らしいです。

この言葉には結構納得で、確かに周りの人を見ても
一人で過ごそうと思えば過ごせそうだな、ていう雰囲気を持つ人が多い。
一人での時間の使い方も知ってるし、その状況でも苦に感じない。
そんな人が確かに多い気がします。
ぼく自身もやっぱりそうで、一人にされたらされたで
自分のやりたいことを探すだろうし、常に誰かといなきゃ耐えられない
なんてことは多分思ったことないんじゃないかな。

それでもやっぱり今のメンバーといるのは楽しいんだ。
思うに、多分それは今のメンバーがそれぞれ自立して個性的なおかげで、
一緒にいても誰かに負担がかかるわけでもなく過ごせるし
話をしていてもおもしろいからかな、なんて思うわけです。
ひとりでもいられるけど、集まるともっと楽しくなる。
それが今の環境かな。

ちなみに、研修始まって以来ぼくの一番古い友人グループが
ぼくと同期の男3人(関西人が二人、道産子がひとり)なんだけど、
このメンバーでいるときはそれぞれがボケとツッコミを
入れ替わり立ち替わり演じているんです。
誰かが常にツッコミ役をするわけではなく、
その人もボケを演じてみたり。
これもそれぞれがボケとツッコミを持って自立している証拠?

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DIVE into the ONE (8月24日更新)

昔から思うのだけど
二択問題というのは要は自分との戦いだと思う。

これまでの人生の中で、免許の学科試験や
資格の試験、今受けているMRの模擬試験と、
二択問題と対峙する機会というのは多いのだけど、
ぼくはこの二択問題が他の問題形式よりも苦手なんですよ。

そもそもぼくは典型的な文系人間なので、
テストのときは

「なんとなくこういう内容なら○にしてもらえる」

といった正解の幅の広い記述問題みたいなのが好き。
逆に、

「これしか答えがない」

という数学の問題は非常に苦手なんだな。これが。
高校の時の数学も、『途中点』という仕組みがなければ
おそらく今の進路は進めなかったでしょう・・・。

そんなわけで、正解の幅が狭い二択問題というのは
もともとぼくが苦手とするタイプの形式。
だけどこれだけでは「二択問題が自分との戦い」
という話にはなりません。

じゃあ、なんで「自分との戦い」かというと
二択問題というのは基本的に問題文の文字数も少ないもの。
従って、問題文から問題の背景や答えの傾向を探ることはできず、
自分の中にある知識だけで答えにたどり着かないといけない。

しかも二つしか選択肢がないもんだから、
答えに根拠がなかったり、逆に知識があるばかりに問題を深読みしすぎると
自分で問題を複雑に構築していって正答でない方を選択したりする。
「裏」の「裏」は結局「表」みたいな。

よくバラエティ番組で、目の前に簡単に破れるドアがあって
正解だと思うほうのドアに突っ込んでいき、
セーフならマットが、アウトなら泥や粉が待ち受けている、
というコーナーがあるけど二択にぶつかった時の心境は
そのドアの前に立たされたバラエティ芸人。

悩んで悩んで悩んだ末に力一杯ダイブしたら
その先が泥、みたいな空回りした脱力感・・・。

単純なものほど複雑なことは世の中多いけど、
二択問題を前にしてシャープペンシルを回していると
いつもそんな事実に気づかされるわけです。

・・・そんなこと考えてないで問題を解けって?

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「やらない」ということを今「やろう」 (8月22日更新)

何週間前のフリーペーパー「R25」に載っていた
石田衣良さんのコラムに『微小探索』という言葉が取り上げられたわけです。
といっても

微小探索ってナニ?

て感じだと思うし、実際にぼくもこの言葉を最初見たときは
いったい何のことやら、て感じでした。
ただ、内容を読んでみると、こういう話は
以前にどこかで聞いたような記憶があります。

『微小探索』について。
人間というのはその行動をビデオカメラで録画すると
その動作というのは数万分の一秒単位で「探索」という行動をとってるんだそうです。
つまり、卓球のラケットでボールを打つ動作においても
その打ち返し終わるその瞬間まで人はラケットの角度を微妙に調節しているように
人の動作というのは実はどんなものでミクロな単位の探索行為によって構成されてるとのこと。

この話題から引き出される話として石田さんは
人間というのはその生態として絶えず探索を行う生物なのだから、
物事にあたる時もマニュアル主義にあるのではなく
その場で機知を働かすことが大切、という内容の事を書いてました。

この話、なんだか非常に納得してしまったわけです。ぼくは。
ぼくはもともとは段取り人間というか、準備に時間をかえるタイプで、
何か物事に取り組むときは自分でマニュアルを作ったり
タイムテーブルを作ったりして本番に臨んだりします。
こうした準備は確かに大事なんですよね。
インプットされたものがなければそもそもアウトプットするものもないわけだし。

だけどそれだけじゃダメなんですよ。

インプットしたものがあっても
それをアウトプットすることができなければ
他に人にとっては存在しないのも一緒だし、
結局マニュアル化された行動を取ることよりも
いかに機知を働かせてその場に適した行動を探索するか。
これが大事になってるくるんですね。何事も。

これを裏付ける個人的なエピソードが高校の頃にあります。
そのとき所属していた合唱部で、ある日小学校で演奏する機会があり
ぼくは司会をするということで当然のように原稿を作ったんですが(時間をかけて)
本番前のリハの段階になって

その原稿が顧問によって全てボツにされる

というなんとも印象的な出来事がありました(笑
で、結局どうしたかというと、曲名や作曲者といった必要なデータを頭に入れて後はアドリブでやりました。
もちろんそれだと詰まるような箇所もあったんだけど、結局この方がいいと言われ
司会の方も無事に終えることができたわけです。
今から思えば、原稿という紙の上のストーリーよりも
アドリブによってその場で口上を考えるほうが
より生きた司会になったんだろうな、てことです。
あの時は痛かったけど、今になればいい思い出&経験です(笑

そんなわけで、最近のぼくは

「やらない」ということを「やる」

ということに挑戦してます。
会社の研修の一環で、毎週のように他の同期の前でプレゼンをする機会が
大体週に1回の割合であります。
ぼくは最近まではプレゼンに臨むにあたっては、
例のように準備に時間をかけ、進行もスムーズにいくように用意・・・

・・・したつもりでした。

ところが、実際にやってみると
準備はできているんだけど、どうもプレゼンがうまくいかない。
その原因もやっぱりかけた準備の方に重きを置きすぎて
プレゼンの場での流れやオーディエンスのレスポンスに
どう対処するか、ということの探索ができてなかったんだと思います。
それ以来、最低限の準備はするけども
ある程度準備したら「後はどうにかなる!」という根拠のない自信を持って
本番に臨むことにしました。

すると、本番での空気の流れを読みながらプレゼンを進めると結構うまくいくもの。
もともとハッタリというものは大学生時代の学生指揮者で身につけているので
練習量とは関係なく練習してきたように見えるらしいです。
ということは練習をしてもしなくても同じようにしか見えない、ということで
複雑な心境になるんだけど、そういう技能は結局場数を踏んで慣れてくものみたいです。

練習や段取りに縛られず、本番で自分の力を試してみる

そんな「やらない」ことを「やる」ことにみんなも挑戦してみてはどうでしょうか?

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The end of genesis (8月21日更新)

昨日、新しいホテルに移動して来ました。
これでおそらく3月以来8件目のホテル。
とりあえずここ半年でビジネスホテルの事情には
普通の人よりは詳しくなった気がします(笑

今度のホテルは品川区にあるわけで、
前回の幕張のような海の見える光景は期待できません。
とはいえ、今回は机の正面に窓がある間取りになってるので、
夕方なんかは夕日に染まる街の光景が見れたりするし、まぁいいか。

とりあえず休み明けということで、久々に同期に再会したわけです。
(といっても昨日の時点で再開したのは男性のみ。というのも
ここ数ヶ月は男性・女性で宿泊しているホテルが別なため)
なんだかこうして同期が何人もいる状態で休み明けに再会すると
学生時代の夏休み明けと全く変わらないんだ。
お互い会えば休み中にあった出来事の話したくてうずうずしていたり、
互いの肌の色や髪の長さの話題で盛り上がったり。

今日から仕事さえなければどんな良かったか…。
これから一ヶ月、また同期と頑張りますよ。

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Toooooo be late(8月20日更新)

昨日は大学のサークル時代の後輩と同期の数人で飲んできました。
やー、気心の知れた友人達と飲むのはいいもんです!
どうしても昔話ばかりになってしまうのはどうかと思うけども(笑

そういえば待ち合わせ場所で会うなり、後輩に

「社会人に見えませんね」

と言われたのは喜んでいいものやらだめなのやら。
個人的には喜びたいんだけどね。
社会人よりは学生と見られる方がなんとなくいいし。
とりあえずまだ研修中の身なので、普通に見たら
社会人に見えないのは納得です。

その飲みから帰る途中、
久しぶりに通学に使ってた路線を使ったんですが
その時に大学時代の朝の光景を思い出したわけです。

思えば大学生時代はしょっちゅう遅刻をしてた記憶があります。
起きたら「これは2限にも遅刻だな」てことが多く、
「今さら急いでも仕方ないか」と思い直してのんびり準備して大学へ。
出席を取らない授業の場合は足は講義室のドアの前から回れ右をして
そのまま学食へ、なんてこともごく普通。

典型的な大学生生活(?)をまっとうしてたわけです。

とはいえ社会人になるとそれは効かない!
以前同期の友人が朝寝坊して危うかったことがあったんですが、
それを見て社会人の遅刻の影響の大きさを目の当たりにした気がしました。
学生の時の遅刻と社会人の遅刻の違いは
その影響が個人で留まるか、周りの人にも波及するか、
というところにあるような気がします。

目覚まし、携帯、モーニングコールetc・・・使えるものは何でも使うべし。

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夏の終わり(8月18日更新)

一週間あった盆休みも残すところ2日で終わりです。くぅ~ほんと早い!
大学生の時の夏休みは長かったなぁ、て感じだったけど
できることならその時の余分な夏休みを取っておいて
自分の好きなときに使えたらなぁ、なんて今では思うわけです。

そう。ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる『時間銀行』のように。

使わなかった時間の翌月繰り越し

なんてことができたらいいんだけど
こればかりは無理なお話。残念!!!

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コーヒーホリック(8月17日更新)

美味しいコーヒーが飲みたい!

これが専ら最近の悩み。
ぼくは別にコーヒーが大好き!というわけでもないんだけど
特に好物と思うまでもなく普通に生活の中で飲んでたりします。

よく寝る前にコーヒーを飲むと寝れなくなる

と知人に心配されるんだけど
もはやそうした域を通り越したのか
普通に寝る前に飲んでも睡眠には差し支えなかったりします。
コーヒーにも抗体ができるのであれば
とりあえずぼくはすでに持ってると思いますね(笑

ところで冒頭の話。

なんでそんなことを言い出したかといえば、
先日ふと思ったんですが、何気なくコーヒーを飲んでる割には
あまりコーヒーの味を覚えてないんですよね。
特に味が悪いわけでもないんだけど
特に美味しいというコーヒーも飲んでないから
記憶に残ってないのかな、なんて。

それがコーヒーなんだと言われればそれまでだけど
ぼくの記憶の中にはやっぱり美味しいコーヒーの記憶はあって(ずいぶん遠いけど)、
そうした存在があることを知ってると、どうしても美味しいコーヒーが欲しいな
なんて思うんですよね。どこに行けば美味しいコーヒーにありつけるんだろう?

余談だけど、9月から一人暮らしが始まったら
部屋にはエスプレッソメーカーでも置こうかと考えてます。

やっぱり脳にも部屋にもコーヒーの香りは必要だと思うので。
美味しいコーヒーが飲みたいなぁ。

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TVの中の訪問風景(8月15日更新)

今日8月15日 小泉首相が靖国神社を参拝したそうですね。

例年のごとく靖国神社の参拝を巡っては
国内外の論議を呼び、テレビも新聞もそのことで盛り上がる。
いつもの光景が見られたわけです。

個人的には死者を悼むことは心情的にも当然のことだし
はばかられるものでもないと思うんですけどね。
ただ、それが一種のアピールになっているように見える
今の状況にはどうだろう、と思ってしまいます。

個人的な参拝だ、と言い続けておきながら
それでいて「総理大臣として」靖国神社を参拝することに
執着する姿が垣間見えるとき「う~ん」と思うんですよ。

ま、マスコミや各国政府が盛り上げるから
首相としてもそれに反論をして、
その反論がまた参拝の意義を別のとこに持ってしまう。
そんな悪循環が根元にあるからもしれないんですけどね。

結局のところ周りが騒いだところで
首相は靖国神社を訪問してしまったのだし、
これからも訪問するかもしれないわけです。

信教を政治的な道具とするのではなく また
自分の言動がどう見られどんな影響を与えるのか
外から自分を見るコモンセンスを持ってほしいもんですね。

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積み上げられた街(8月11日更新)

バリヤフリーという言葉は今では随分浸透してきたもので、
意味まではともかく、ほとんどの人は耳にしたこと位は
あるんじゃないかと思う。

ただ、実際にどれだけ障害や不便さがあるのかについては
なかなか実感しづらく、わからないものだとも思う。
だからバリヤフリーのことは知ってるけど、
実際に商品を手にしたこともないし、
バリヤフリーを体験したことなんてない、
という実は人が大半なのでは。

そこでぼくが提案したいのは
どんな人も一度荷物をたくさん詰めて
持ち上がらないくらいの重さのキャリーバックを持ち、
電車に乗って出かけてみることだ。

そうすることで、例えば車椅子を利用する人や
怪我をして松葉杖を使っている人の視点が
見えてくると思うのである。

実際、今日は研修先から実家に戻るということで
大きなキャリーバックを転がしながら
電車にも乗り、帰ってきたのだけど
想像以上に街は障害が多いものです。

とりあえず段差は到る所にあるし、
地下鉄の駅では結構近くに階段しかない駅が多い。
そして上がりのエスカレータがあっても
下りのエスカレータがない駅というのも多い。

ぼくは昔松葉杖を使ってた時期があるんだけど、
その時の経験から言わせてもらえば
上がりというのは疲れるけどそこまで恐怖感というのはないもの。
逆に下りは簡単に降りれそうであって実際は
落ちないように力で支えながら降りるからかなり疲れるんだ・・・。

普段に何気なく生活してる時は
そんなことは意識しないけど、
視点を変えると違う世界が見えてくるもんです。

ちなみに、街中にある点字ブロック。
あれはもちろんなくてはならないものだと思うけど、
車椅子を使っている人にとっては逆に
段差になっていて少なからず不便な気がします。
といってもそれほど高低差があるわけじゃないから
車椅子の椅子の径なら問題ないと思うけど、
何事も両立は難しいんだな、なんて感じたわけです。

余談だけど、大きなキャリーバックを転がして歩くには
渋谷の街は酷だということが今日はよくわかりました。
ま、普通に歩いたって歩きづらいんだから当然といえば当然か。

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旅する言語(8月10日更新)

日本語にも英語にも「過去形」という形があるけども
英語の「過去形」というのは実に活躍の場が多いものです。

ところで、昔聞いた話なんだけど
英語の仮定法や敬語表現に「過去形」が使われるのには
あるひとつの理由があるそうです。
その理由というのが
過去形も仮定法も敬語表現も、どれも

『現実から遠い』

ということ。つまり過去が現在から遠い距離にあるのと同じように
仮定もまた現実から遠い、という事らしいんですね。
だから仮定法の時には「過去形」を使うことで
『現実からの遠さ』を暗に示しているんだとか。

敬語表現に関して
例えば「Would you~?」のような過去形の形が丁寧さを感じさせる
というのもやはり『現実からの遠さ』というのがネックで、
『現実から遠く』言うことが「直接的」に言わず、「間接的」に
依頼(伺い)をすることになるんだそう。
そんな話を高校生の頃に聞いたのを今日思い出したわけです。

なんでそんなことを思い出したかなんだけど、
今日の研修では外部の人による講演があったんですが
その人は話すときにやたら「~でした」を言う人で、
確かに過去の話をしてるんだから当然といえば当然なんだけど
あまりに「でした」「した」「だった」を聞いていると
どうにも聞いてて現実感に乏しい気が・・・・
話の内容だけでなく、話を聞いてるという感覚も遠のいていくんだよなぁ。

日本語の過去形の使いすぎも
現実感を薄めてしまうのでご注意を!

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Happy tune 2(8日9更新)

もうすぐ夏休みに入るぼくですが
休みを終えると今度は品川のホテル、お台場側にある研修所に移ります。
だけど、そこへ移るととうとう研修も最後のステージ。

今までホテルを移るたびに研修の区切りとしていたのが
まもなく第3ステージを終え、休み後には第4ステージです。

研修始まって最初の方はほんと時間の流れが遅く、
特に最初のひと月は何もかもが新しく苦労したもんだけど
いつの間にか時間の流れがスピードを上げてました。
ほんとこの一ヶ月とかも早かったなぁ。。。

それにしても、最近思うのはこの同期でよかったな、てこと。
人との出会いに関しては人間運任せなところもあるだけに
その分一層この代であることに感謝してます。
特に最初に一緒の班になったメンバーはお互いに仲がよく、
この間も2日続けて部屋で飲んだりと交流をしてます。
先週の金曜日はメンバーの女の子のひとりが誕生日だったんだけど、
みんなで「ハッピーバースディ」の曲をハモろうと練習。

最初は全員で集まるのは難しいから、と
"携帯ごしに”メロディーを聴いて、それを他の子に伝える、なんて
手を使って音取りをしました。そして本番の日は外で15分間の合わせ。

そして結果は…

本番ではちょっと音が合わず上手くいかなかったけど
歌いなおしたら今度はうまくいきましたよ。ま、そんなもんです!(笑
でも歌を歌おうと団結して、練習までしてしまう9人のメンバー。
なかなかこんなことは実現しないと思うんです。
今まで特に歌と関わってこなかった人ばかりなのに。
この班のリーダーをできてよかった。くぅ。

こうやって思うと、ほんと休み明けのひと月もない研修で
今の同期と分かれていくのがますます寂しく思うんですよ。
運が良ければひとりぐらい同じ営業所に同期が来ることになるだろうけど
それも知ってるひとかどうかは分からないしなぁ。

できることならこれからも今のメンバーとは
連絡を取り合えるようにしたいと思います。

残すところ42日。

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もうすぐ夏休み(8月7日更新)

今日は月が明るい晩でして
月の左右から光の筋が伸びているのと同時に
海の上にも月の光が移っていて(映っていて)なんとも幻想的な光景です。
う~ん、癒される。。。
ちょうど、信長貴富『思い出すために』の「手紙」の情景て
こんな感じなんだろうな、なんて勝手に思ったりします。
その歌をやってた頃にぼくが頭に思い浮かべてた光景そのものが
ホテルの窓の外にある感じ。

さてさて、今週末の金曜日からお盆休みに入ります!
(勝手に)有給がくっけられたりしてる関係で9日間の休みなので
結構休みそうな気がします。
同期の中には長きに渡る研修生活で欝気味になっている人もいるので
このタイミングで休みに入ってくれてよかったと思いますね。
(ま、個人的には研修そのもののシステムをどうにかした方がいいと思うけども。)
ちなみにぼくはそれほど周りの環境の変化を受けない人間なので
長い研修でも飄飄と過ごしてた気がします(笑

とりあえず休みに入ったら車の練習をした方がいいな、とか
読みたい本をあった気がするな、とか
他にも買いたいものがあった気がするな、とか そして
かなり最後の方のプライオリティ-で「勉強もしなきゃな」なんて考えてるんですが
それと平行して荷物をまとめるのにも時間を要しそうな気がしてます。

というのも、まだ配属先が決まってないとはいえ、
配属前の大きな連休は今度の盆休みが最後になるので
実家から持ち出すものがある場合、とりあえずもう荷物をある程度まとめておかないと
着の身着のまま引越し、なんてことにもなりかねません。それは困る!
てな訳で、実家に帰ったら部屋を片す予定なんだけど、

本棚に150冊近くある小説はどうする?

など早くも不安な材料が・・・。
ま、なんとかなる(よね?)

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白い鳥に寄せて(8月7日更新)

最近、身近な所でも悲しいことがありました。

ぼく自身は友人からのメールを通して知ったのですが、
先日後輩にあたる人に不幸があったとのことです。
留学中ということで海外での出来事でした。

その人とぼくとは直接の面識はなかったのですが、
所属の関係ではそれほど遠くない人であり
おそらく間にひとり友人を挟めば知り合いである位の近さで、
そうした身近で起こった出来事に動揺させられました。

先日の話と似てきてしまうのだけど、周りの人にとって
想像以上に人ひとりの存在、インパクトは大きなものだと僕は思う。
そうしたものは「誰か」と比べる相対的なものではなく
常に「その人」という絶対的なものとして。
だから誰もがいつも自分のことを大切にしてほしいと僕は思うのです。

まだ夏休みも続くし、これから海や山、
日本を抜け出して海外に渡航する人たちもいるでしょう。
そうした時間は是非とも楽しんできてもらいたいと思います。
人が楽しんでいる姿は周りの人の気持ちも明るくしてくれる。
だけど今一度、自分の身は大事に守ってもらいたいと思います。
無力であるけれど、ぼくにできるのは今できるのはそう願うことだけです。

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MIDIのすゝめ(8月3日更新)

知ってる人には今更、て感じだけど
MIDI(ミディ)というのはシンセサイザーやPCを接続して
楽曲をやりとりするための規格のこと。
MIDIのファイルの大きさを見て分かるように
実はMIDI自体は音楽ファイル、というわけではないので
それだけ持ってても音楽は聴けなく(言ってみれば楽譜のようなもの)
演奏するソフトが読み込むことで音が出ます(楽譜を奏者が演奏する感じ)。
その辺りがWAVEやMP3との大きな違いですね。

大学以上の合唱団というのは今はどこもこのMIDIを使っているようで、
最初にこれを知ったときは結構衝撃を受けました。

音取りにこんなものを使ってるのかー、と(笑

高校で合唱をやってた頃はピアノなど楽器で音を取ること前提だったので
MIDIの存在自体知らずに過ごした気がします。

ところで、ぼくは実際に演奏をするのも好きだけど
それと同じ位に知らない音楽を探索したり
音楽史を調べるのも好きなので、そうした意味では
MIDIというのはほんとうに重宝するのです。
というのも、ネット上では著作権の関係から
一部を除いてWAVEやMP3などの音楽ファイルを置くことは違法とされます。
なので、ネット上を回ってても音楽をフリーで聴くことはなかなか難しいわけです。

しかし

MIDIには歌詞が入っていない関係もあって
(JASRAC等の許可はいるけど)比較的簡単な手続きでHPでも公開できるので
探すと結構見つかるもの。今日はお勧めのサイトをいくつか紹介。

まずここ「くろふつのへや」では
信長貴富さんの混声合唱組曲「初心のうた」「春のために」
萩京子さんの5つの混声合唱組曲「飛行機よ」が聴けてしまいます。
他にもいくつか合唱曲のMIDIが聴けるんだけど、個人的には
この3つの組曲はお勧め。ネットサーフィンしている間のBGMになってます(笑
『飛行機よ』の「Ⅲ.ぼくが小鳥に」を最初に聞いたときは思わず泣いたな。。。

続いてはここ「山の愛唱歌集」には
かなりの数の合唱曲のMIDIが集まってます。中には
D-51の「NO MORE CRY」の混声3部合唱のMIDIなんて変わったものも!
個人的には「怪獣のバラード」とか好きだなぁ(笑

最後はここ「合唱でYEAH!」
なんともハイテンションなHPの名前だけど、公開しているMIDIは
黒人霊歌、マドリガル、ミサ、アニメソングなどジャンルが豊富。
そして何より曲の解説が詳しいものも多くおもしろいですよ。
個人的にはGiovanni Gabrieliの三重合唱のミサから「Gloria」が好きで
昔から音源を探し続けているのに未だに見つからなかったりします。
どこにあるんだー!

手軽にネット上で聞けるMIDIを通して
新しい歌との出会いもあったりするもの。
たまにはMIDIを探してネット上を散歩してみるのもいいかも?

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市営プールでの事故について感じたこと(8月2日更新)

ニュースを見て知っている人も多いと思うけど
埼玉の市営プールで小学生が吸水口に吸い込まれ亡くなる、
という悲惨な事件が起きた。本当にこれは「悲惨」としかいえない事件だと思う。

水の中で命を落とすばかりか、吸水口の闇に吸い込まれる瞬間に
彼女が感じた恐怖のことを考えると、胸が締め付けられる感じがする。
それはぼくらがこれから生きていく中で感じることがない位
巨大な恐怖だったと思うし、パニックになっていたという母親の事を考えると
無意識に歯を食いしばってしまう。

世界では病気で亡くなる人や紛争で命を落とす人も多く
連日「何人亡くなった」というニュースもTVからは聞かれるけれど、
人のいのちは決して数字で片付けられるものではなく、
いのちはいのちであり、またいのちでしかないと思う。
誰にだって人のつながりは通じていて、その人に代わる人なんかいない。
例え一対百であっても天秤の腕は傾くものではないはずだ。

人災のない世の中を強く願う。

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