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夢花火(7月30日更新)

今日(正確には昨日)はあちこちで花火大会があったみたいですね。
特に隅田川の花火大会なんかはまた人が多かったようじゃないですか!
その一方でぼくはというと、今日はMR試験の模試が近いので
外に出るわけにもいかず部屋で試験勉強してました。
んー、まるで高校3年生の夏休みのプロットを辿ってる気が・・・。

そういえば昨年はゼミの友人達と千葉の花火大会を見に行ったんだけど、
その時もすごい人だかりだった記憶があります。
しかも場所取りをしてくれた友人は2日前には場所を確保してくれてた、
というんだから、花火大会ひとつをとっても熾烈なものです。

でも今年はどうやら花火を見に行く機会はなさそうですねー。
会社の同期は地元に帰ってたりでちりじりばらばらだし、
そうなると他に予定があう人がいるかどうか・・・。残念!

そういえば手持ち花火なら埼玉のホテルにいる時に
同期のグループでやったからそれが今夏の花火かな(笑
だけどぼく的には華やかな花火も好きだけど
やっぱり線香花火が好きだなー。
花火の光景と同時に、火を眺めている「雰囲気を楽しむ」時間が
なんとも日本人らしくていいな、と思うんだよね。
火を眺めてる瞬間、それぞれが違うことを考えているんだけど
だけどそれを口にしないでただただ火を眺めている。。。

その光景を思い浮かべるだけで、なんだか風流な気分に(笑

最後に、夢と花火で似てるな、て思います。
夢も花火もどちらもいつかは覚めてしまうもの。
いつまでも残ることはできないからこそ
その瞬間が大事だし、大事なものとして自分の中に刻まれる。

この場を借りて暑中見舞い 申し上げます
皆さんも心に残る夏をお過ごしください。

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学問のT字路 (7月28日更新)

世の中の人を二つに分けるやり方として
文系か理系か、というものがあると思います。

この区分、結構仕事を選ぶ上でも重要になってくる点で
なかなか無視できないものであるけど、
とりあえずぼくの場合、とりあえず
いつも見た目の印象は逆に思われるみたいです。

本人的には「絶対に文系!」と思っているのに
それを知らない人からは絶対に

「理系でしょ?」

て言われます。
思い返して見る限り、23年間、ほぼ100%外されてる気がするなぁ。

そこで思うのは『文系』『理系』の印象って
未だに変わってないんだろうな、てことなんですね。
「眼鏡をかけてる」「論理的に話しそう」「数字に強そう」
そんなことで『理系』人間に見られてる気がします。
(とりあえずぼくの場合は後ろふたつハズレだ)
ちなみにうちの高校は『文系』『理系』でのクラス分け、というものはなく
個人で授業を選ぶ選択制の授業が3年生の時にあっただけなので、
ぼく自身は結局どちらになるのか客観的に分けられることはありませんでした。

でもまぁ、進んだ大学の性質や取った授業を考えれば
「文系ではないな」という結論にはなるんですけどね。

でも結局のところ『文系』『理系』の境界線ってどこにあるんだろう?
薬学は理系、文学部は文系、これはわかる。
工学部は理系、法学部は文系、これもわかる。

だけど、水産学部は理系?
経済学部は文系?

ともなると、どちらかといえばこちら、なんていう
区分の仕方を彼らはされているように思えます。

今の時代の舌を噛みそうになるような学部・学科の名前を見ていると、
『文系』『理系』の分け方もそろそろ古くなってきたんじゃないかと思います。

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そういや高速乗ってない(7月26日更新)

昨日も書いたように今週末は運転の補講ですよ。
これには深ーい訳がありまして、
なんでもうちの会社はここ数年MRの事故率が高いんだとか。
これは会社としても見過ごせない、ということで
今年から運転研修が強化されたらしいんです。
なんだかとんだとばっちりを受けてるような気がするんだけど…?

ところで、実習を受ける前の噂では

「6割」の人が補講送りにされる

と聞いていたんだけど、
実際はこの噂は間違いだったことが判明。
実際には

「9割以上」の人が補講送りにされました・・・

うーん、ここまでいくと逆にやりすぎの気がするんだけどなぁ。
どうも事前の申請で運転歴が「ペーパードライバー」
だと申請した人は、強制的に補講が付いたようです。
(ちなみにぼくが免許を取ったのは昨年の8月5日)
それでもぼくは最低時間の2時間だったので
まぁ、悪くはなかったみたいです。
友人は「速度オーバー」「赤信号なのに発進」をして
最長の7時間の補講がついたそうですから。大変だ!

最後に話は飛んでゴーカートの話。
まだぼくが小さいころに、(多分)地元に近い遊園地に家族で行ったことがあるんだけど、
その時母と一緒にゴーカートに乗ることがあったわけです。

その時はぼくの方がアクセルを踏む側の席に座り
母は助手席にあたる席に座ってたんだけど、
ぼくが速度を出るのを怖がって「アクセルを全然踏まなかった」為
カートが一向に先へ進まず、最後には
母が怒った、というエピソードがあります。
まさかゴーカートで怒られるなんて、ね。

そんなぼくも今ではちゃんと(?)車に乗れてます。
やー、よかったよかった。

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“やんか”なんかナンダ(6月25日更新)

いまの会社の同期には関西人が多く
当然のように友人にも関西人は多くいるわけだけど、
そうした中でひとつだけ、彼らの言葉で気になるものが
最近あるのです。それが

「うち、○○やんか~」の「やんか」という言葉の使い方。

この「やんか」というフレーズ、関西出身の人の口からは
よく聞く言葉なんだけど、これが関東人のぼくには大いに不思議なのです。
ぼくがこのフレーズを最初に聞いた時、「やんか」というのは
てっきり「~じゃんか?」と同じ意味だと思ってたんですね。
つまり「昨日雨が降ったじゃんか?」というのと同じように
『相手も当然知ってることを確認する』ような用法。

なので関西の友人と話してるときに「うち、○○やんか~」と言われたとき、
ぼくは最初それに答えて相槌を打とうとしたわけです。
確認を求められてるんだから「これは答えなきゃ!」と。

ところが、実際にこのフレーズが出たときにぼくが相槌を打とうとすると、

・・・打とうとした時にはもう話している人は先に話を進めてる。

こっちとしては「!?」なわけですよ。

『え?今ぼくに確認を求めたんじゃないの???』

ほんと戸惑います。

しかも話を聞いていると「うち、○○やんか~」の「○○」の部分、
実は聞いてるぼくが知らない情報だったりする。
例えば「法学部って成績の繰越し制度があるやんか~」
と言われてもそんなことぼくは知りませんよ。。。

そうこうするうちに気づいたのは、関西の人の「やんか」というフレーズ、
どうやら「~なんだけど」のいう意味で使われている様。
つまり単なる『順接』の用法。
そこでは、聞き手には相槌も確認も求められていません。
普通に聞き流せばいいわけです。

でもこれがなかなか難しいんだ。
どうしても「じゃんか?」に「やんか」が似てるもんだから
「やんか」が聞こえたら体は反応を返そうとします。
日本語って(というか関西弁は)ほんと難しい…。
慣れるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

P.S.
そうそう、この間会社の運転研修を受けたやんか、
結局補講を受けることになり、今週末
また東京・武蔵境の教習所に出かけることになりました。
3週連続で武蔵境に通うことが決定。やれやれ。

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合唱のある風景(7月23日更新)

昨日は久々に今年3月まで所属していた
大学の合唱サークルの練習を見学して、
そのままそのメンバーと新宿で夜を明かしてきました。

やー、楽しかった!!!

気心の知れた友人達と話せるのも楽しかったけど、
新しく入った新入生の子と話すのも楽しかったなぁ。
とはいえ、ぼくが今23歳で今年の新入生は18歳。

もう5歳も違うのか…

この事実には少なからずショックを受けました、はい(笑

でも合唱をやってる人達の中にいて思うのは、
「合唱をやってる人に悪い人はいない」てこと。
(ま、少なくともここに一名それに該当しない人はいるけどね)

基本的に合唱をやってる人は
人と何かを作り上げることに興味のある人だと思うし、
だから自分以外にも関心があって人にも優しくできる人が
集まるのかな、なんて思うわけです。
特に社会人になって色んな人と会うようになって
比較する対象が増えてからは一層とこれを感じるんだ。
だからぼくは合唱をやっている人はこれからも好きだろうな、と思います。

それにしても歌を歌える環境にいる人達がほんと羨ましい!

これまで7年間歌に浸ってたときは意識しなかったけど、
合唱ってはひとりじゃできないのもので、
しかも誰でも合唱ができるかといったら、なかなか普通の人には
敬遠されるものなので一緒にやれるメンバーを見つけるのは難しい。
今はほんと歌が恋しいなぁ。

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毎日が言葉との格闘(7月19日更新)

どうもぼくは誤字(誤変換)が多いらしい。

「らしい」と言ってるのでわかる通り
ぼく自身は実を言うと自覚がないんですけどね。
でも、ぼくからメールを受け取る人によれば
ぼくのメールは誤字が多いんだそうです。

見直したりしてないの?

とは言われるんですが、
ぼく自身はよほど急いでない限り
メールの文章は見直しはしてるんですよ。
それでも誤字がなくならないのは、多分
頭の中では言いたいことの内容が入っていて、
それを思い浮かべながら文章を読み返しているから。
目はメールの上をなぞってるのに
読んでいるのは頭の中の文章のせいなのかもしれません。
内容が伝わればそれでいいのに・・・なんて
ときにはちょっと抵抗してみたりしたくなります(笑

ところで、上で言ったようにぼくは
メールの内容は見直しをしています。

それも時としてひとつのメールを何度も。

メールのやっかいなところとして、
「イントネーションが伝わらない」ということがあると思う。
電話なら伝わる微妙なニュアンスも
メールの文字の上では息を潜めてしまっているし、
直接話しているようなリズムのある会話は
メールの上では望めない。

だから談話や電話がインタラクティブな通行であるのに対し
メールはいつだって一方通行なものだと思う。
送るほうも一方通行ならば、そのメールを読むほうも
自分の解釈でその文面に向かうからやっぱり一方通行。
二人の間に同時にトンネルが通ることがない。

だから、ぼくは一度打ったメールの文章でも
何度も読み返してはどう受け取られるかについて考えてみるんですね。
他の読まれ方をしたり、特に相手を傷つけるような読まれ方をするような
言い回しや文章になってる場合はそこで書き直すのです。
そして書き直した文章をもう一度読み返す。これの繰り返し。

ぼくが書いたメールには、その文章の長さよりも
はるかに長い時間がかけられているのです。

それでも、やっぱり誤解やニュアンスが伝わらないことはあるわけです。
そして、その度に自分の文章力のなさと言葉の限界にはうんざりさせられます。
あれだけ推敲したはずなのにそれでも伝わらないのか・・・と。
かといってそこであきらめるわけにはいかないんですよね。
コミュニケーションのツールとして言葉と文字は使わざるを得ないわけだし、
あとは自分の文章力は磨いて、言葉の限界は相手との理解で超えるしかない。

最近はあまりそういう何度も推敲しないといけないような
メールは打ってない気がするんだけど、そうしたメールを打つ機会では
以上のことを留意しつつ、ぼくは誤字にも気をつけることにします。

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音の文化(7月16日更新)

さて、ぼくが日本人であることは
今更言うことでもないわけですが、
ぼく自身、日本人に生まれてきてよかったと思うことが3つあるのです。

一つ目は白いご飯が食べられること。
中学生のぼくは社会の授業で「減反政策」のことを知って
ちょっと焦りを感じたくらい白米が好きなのです。
白米だけを食べることはあまりないけれど、
例えば焼肉を食べながらご飯が欲しくなったり
納豆を食べるときにご飯がないと困ったりと
白米は常にあってもらわないと困るのです。

二つ目は熱い緑茶が飲めること。
特にご飯の後の緑茶は格別。
緑茶を飲んでいると、
「あぁ、やっぱりぼくは日本人だ」
という思いが体内に染み込んでくるのです。
ちなみに昔は吉野家は緑茶で松屋はほうじ茶だったんですが
最近は松屋でもほうじ茶が出てきた気がします。たしか。
吉野家の緑茶は個人的には好きです。

三つ目は風鈴の音が聞けること。
夏になって風鈴の音を聞いたとき
日本人であることを思い出します。

ところで、日本は音の文化であると思う。
というのも季節を象徴する音があって
その音を聞くことで季節を感じることができるからである。

例えば今は夏のなので夏の例を取ると、夏を連想させる音は

風鈴の音、蝉の鳴き声、扇風機の音、花火の音
波の音、つくつくぼうしの鳴き声etc...

という典型的なものもあれば

氷がグラスで動く音、出店の発電機のモーター音
高校野球の金属バットの音etc...

なんてものを聞いても夏を連想すると思う。
他の国のことはよくわからないのでここでは触れないけど
とりあえず日本について考える限りでは
日本というのは音の豊かな国であるとあると思うのです。

人は五感のうち、体外の情報の実に70%を視覚から得ている
といわれるほど視覚優位の生物であるけども、
ぼくはどちらかというと聴覚というものが好きだったりする。

なぜなら目から得た情報には付け足すものがないけども、
耳から得た情報にはイマジネーションをする余白があって
そこがおもしろいと思うから。
人それぞれ今まで違う環境の中で違う経験を積んできているのだから
同じ音からもできあがるポートレートも違うはず。

それにしてPlaystationで夏休みをテーマにしたソフトが出ている、
という事実を聞くと、そうした典型的な夏の風景も
姿を消しつつあるのかな、なんて思います。
そういうゲームが売れてる、てことは
昔ながらの夏を求める人も多い、てことなんだろうな。

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宿題なんて嫌いだ!(7月15日更新)

今でこそ本を読むのは好きで
文章を書くこともそれほど難を感じないぼくですが
そんなぼくが小学校の頃に大嫌いだったのが
「読書感想文」という宿題。

何がきっかけかは忘れたんだけど
小学校の時なんかは母と弟が夕飯を食べている中
感想文が書き終わるまで食べさせてもらえなかったり、
またあるときは感想文が書き終わるまで寝かせてもらえず
眠気に耐えられず机に伏して寝ていたら怒られた、など
感想文にまつわる思い出にはろくなものがなかったりする。

今振り返るとなんで感想文が苦手だったのかは
わからないんだけど、今考えると
本1冊という長い文章を要約して
ポイントとなるところを捉える、ていうのが
苦手だったんじゃないかと思います。
特にそれが物語だった場合なんかには
 
結局全部大事じゃん!

て感じにテンぱってた気がします。
文章を要約する、てのは簡単なものではないし
大学受験のときなんかはそれこそ
予備校でよくやってたくらいだから難しいものだけど、
周りの小学生は普通に感想文を書いてたんだから
やっぱりその頃のぼくは読書感想文を書くのが下手だったんでしょう。

さて、今まで読書感想文用に読んだ本の中で
今でもひとつだけ記憶に残っている本がぼくにはあります。
それが「走りぬけて、風」(伊藤由美子 作  講談社)という作品。

この物語は小学生のユウが中元大売り出しの福引きで
1等のサイクリング車を当てるまでの物語。

こういってしまうとなんでもないように聞こえるけど
ユウは小学1年のときから6年間、夏がくるたびにデータをとり確率の研究をしていて
今年街から引っ越していくユウにとって今年は商店街最後の福引き。
夏休み前の1ヶ月、近所の手伝いをしながら福引券を集めていく、
関係にひびが入ってしまった親友との昔した約束の行方、など
何かに向かってまっすぐなユウの姿は、夏の午前の清清しさのような
爽やかさとともに今でも印象に残っています。
小学生向けの本にしてはストーリーに読み応えがあって
映画化してもいけそうじゃないか、なんて思ったりします。
今の小学生にも薦めたい本のひとつ。

部屋から見える海と白い雲を見ていて
ふとこの本のイメージを思い出しました。
たまには昔に戻ってこういう本を読んでみると
前とは違った見方ができておもしろいかも。

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プレーンな毎日(7月13日更新)

なかなか自分の時間が取れない!

前も言った気がするけどこれが最近の悩み。
金曜の夜から日曜にかけては休日で
今週末なんて3連休なんだから贅沢は言えないんだけど
平日はほんと忙しい気がします。

しかも

その忙しさから何か生まれてるならまだしも
講義を受けるだけの忙しさでは
何も生まれてこない。
これが一番居心地悪く感じる理由かもしれないです。

とりあえず朝起きてから
日中講義を受けて
間にときどき休憩を挟む。

ホテルに戻ってからも
その日の講義の内容を復習する。
結局寝るのは深夜2時。

これが毎日続いて、
しかも月曜から木曜日は
「明日も同じ一日」ていうのがわかってるから
その日一日におもしろみを感じにくいんですね。
この感じ、中学生だった頃に似ている気がします。

でもこれは本来僕の主義に反するところ。
同じ一日なんて二つはないはずだし、
ただ漫然と過ごすには24時間はもったいない。
だから毎日の中に何かを見出そうとしてるんですが
そうしたバイタリティも知らずに蒸発していく研修生活です。

もっと効率のよい研修プログラムが
ありそうな気がするんだけどな、なんて思ったり。
そう感じてるのは僕だけじゃないはず。

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夏の海 ひねもす のたりのたりかな(7月11日更新)

今日のタイトル、もちろん正しくは

春の海 ひねもす のたりのたりかな

という蕪村の俳句。でもこれが「夏の海」でも
構わないんじゃないか、なんて最近感じてます。

僕は先週の土曜から、宿泊先を千葉の幕張のホテルに移して
研修をしてるんですが、このホテルが今までのホテルと比べて
いいところは、部屋のある22階からは海がよく見えること。
夜なんかは何も光を発する物体がないから暗い海なんだけど
時折遠くの灯台の光が瞬くのが見えます。

海の好きな僕としては、こうして海を眺められる部屋にいるだけで
結構嬉しいことだったりします。
ちなみに実際に浜辺まで時間のあるときに行ってみたんですが
そのとき思ったのが

海って一日見てても不思議と飽きないな

てこと。

寄せては返す波の作る光景は
二度は同じものではなくて、だから見ていても全然苦じゃない。
二度は同じものはなくて、なんてところは
何だか音楽にも似てるけど、実際に波の音とかだって違うわけだし
海は音楽と近いものなのかな、なんて思います。

海の話はまたいずれ。

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home and away(7月7日更新)

昨日、広島から帰ってきました。
帰りも新幹線で5時間かけての帰路。
ここ数年は久しく新幹線なんて使っていなかったのに
社会人になった途端再び新幹線をよく使うようになりました。
まぁ、実際に仕事が始まったら電車を使うことはまれで
ほとんど車での移動になるから
むしろ「車の練習をしなきゃ」て感じなんですけどね。

それはそうと、広島、よかったですよ。
街中を路面電車が走っていて、そうした街の風景も
東京にはないもので面白かったんだけど、
それ以上に印象に残ったことは

人が優しい

ということ。その土地柄というか土地の性格なのか
わからないけど、会った人・話した人の印象は
悪くなかったです。
今回短い間だったけど広島で生活し、
軽く営業の実演をしながら廻っていた感じでは
「広島でも生活できそうだな」なんて思ったり(笑

でも僕の場合は多分どこに行っても
それほど苦労せずその土地になじめるような気がするんだよなぁ。
どこかに自分のホームを持っているというよりは
自分のいる場所からいつも作っていく感じだから。

というより未だ自分のホームが見つけられてないだけ?

さて、今日からは幕張での生活です。
この文章を書いてる時点ではまだ浅草にいるんだけど
昼間のうちに幕張のホテルに移って来週月曜からは
再び通常通りの研修開始。

早いものでこの研修も残すところ2ヶ月。
今一緒に研修している同期とは配属してからは
ほとんど会う機会もないことを考えると、
この2ヶ月も大事にしなきゃな、と思うのです。
僕がこの人生でひとつ恵まれてるものがあるとすれば
それはいい先輩・同期・後輩との出会いだと思うので。

暑い夏もすぐそこですね。

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伴天連尊者(7月6日更新)

8時半出勤。13時に仕事終了。

これ、昨日の行動内容。
僕は今広島で実地研修中ということで
先輩MRに同行して仕事を見学してるわけですが、
昨日は午前中が終わった時点で特に回るとこもなくなり
午後はどうしよう・・・という感じに。
もちろん午前はちゃんと仕事してましたよ。

そこで

昼食後に先輩が連れて行ってくれたのが
その名も「伴天連」という喫茶店。
ちなみに「伴天連」とは「キリスト教の神父」のこと。
このお店、名前からも推察されるように
普通の喫茶店とはちょっと・・・というかかなり違うんだ。

まず店のある位置からして、山を登りきった所という
変わった場所にあって、周りには人影が見えない。
そして草の生い茂ったゲートの傍らには
僕の背丈ほどある黒い灯篭が立ちすくんでいる。
これだけで十分異様な雰囲気。

「三途の川」と書かれた小さな川を渡ると
そこはすでに地獄の3丁目…じゃなくて店の入り口。
入り口の扉を開けるときも、油断していたら
床が沈み込むギミックになっていて驚かされました。
く、悔しい…。

店の中はこれまた異様な雰囲気。
店の照明は薄暗く、天井からぶら下がる
無数の鈴、なんだか人の髪の毛のような異様な物体。
しゃれこうべ、理科室にだってないような不気味な剥製、
人の生首の人形、天井に貼られた御札etc…

ただ意外にもメニューは普通で、僕らはアイスコーヒーを
頼んで1時間半くらい休憩していたんだけど
その間にも

「店内に響く叫び声」

「どこからか聞こえてくるお経」

スピーカーから聞こえてくる男の声が放つ「真夜中のハイウェイ」という単語

どうにも落ち着かない気分にさせられます。

ちなみにトイレの扉には「独房」「面会謝絶」の張り紙。
そして扉を開けると連動して眼前に下りてきた手首

誰かを連れてきたくなるお店でした(笑

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Suit suits me?(7月4日更新)

今日の広島は暑かった。。。

さてさて、昨日の23時にホテルに着いたにも関わらず
今朝は7時半から出社でした。早いって(汗
しかも昨日ホテルに着いてから知ったので
何の準備もしておらず、今朝の朝食は
広島支店に向かう途中で食べたおにぎり1個。
「こんな生活繰り返してたら体壊すな」なんて
覚めない頭で考えながらの出社。

昼間の営業の方は先輩に同行しながら回ってたわけだけど、
今回のエリアは広島の中でも造船業の盛んな呉市。
というわけで車の移動中も海の他に海上自衛隊の戦艦や
潜水艦を見ながらのドライブだったのでちょっと新鮮でした。

ところで、最近僕が思うのは
スーツって自分には合わないかも、という今更なテーマ。
先日ゼミの同期に会ったときにその友達が心配してたのが、

「新陳代謝の激しいおれとしてはスーツが着れるか心配」

という内容だったんだけど、これと同じこと、
結構自分にも当てはまるんだよなぁ。

新陳代謝が激しいのかわからないけど、
僕も結構常時体温が高いようで
すぐ薄着を着ようとする。これもホメオスターシス?

ワイシャツも講義中は腕まくりするし
Tシャツですら腕まくり(?)

そうでもしないと暑くて仕方ないんだけど、
さすがに外に営業に出るときはスーツを着用しないわけにもいかない。
半袖ワイシャツかクールビズの許可が下りる日を待ってるんだけど・・・

・・・来ないかな?

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いざ、広島!(7月2日更新)

そうなのです。広島!
明日から4日間の実地研修ということで広島に行ってきます。
6月頭の研修は横浜支店・厚木営業所、という
なんとも僕にとっては新鮮味に欠ける場所で
普通に今まで使ってた路線を使ってたけど、
今回の実地研修は初めて踏む入れる土地。
恥ずかしながら、今まで岡山以西は行ったことが
なかったので、今回で記録更新。

前回の実地研修は先輩社員に同行するだけだったんですが、
今回はそれに加えて製品説明の実演をやる機会が
あるかも・ないかもなので(この辺りアバウト)、
前回よりは忙しいことになりそうです。

今回訪ねる広島、僕にとっての認識は
「広島」というよりも「ヒロシマ」だったります。
もちろんこれは「NO MORE HIROSHIMA」の広島。
なぜなら広島という場所はもはや日本の中の一地名ではなく
世界における核廃絶のシンボルであるから。

昔やった合唱曲でヒロシマの原爆を題材にした曲を歌って以来
ヒロシマのことはずっと気になっていた気がします。
原爆ドームにも足を踏む入れたいと思っていたし。

ヒロシマに光が落ちた日、
一瞬にしてあらゆるものが存在を消し
人はこれからも多くの人と邂逅していくはずだった
未来を失っただけではなく
自分の生きてきた人生を振り返る時間も与えられないまま
過去も同時に失った

その日から半世紀以上が過ぎても
未だ兵器は姿を消さないまま
消えていくのはヒロシマの記憶のような気がするんですね。
ヒロシマを知らない世代が増えていくにつれて
それは阻止できないことになるんでしょうか。
今一度、日本の歴史に触れるため
広島にいる間に原爆ドームは訪れる予定です。

といっても広島にも良さはたくさんあるわけです。
お好み焼き、もみじ饅頭 etc…
しっかり食べてきます(笑
厳島神社etc・・・観光もしてきます。
今週一週間は埼玉→広島→浅草→幕張
と大移動だ。

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準々決勝(7月1日更新)

ドイツ勝ちましたねー。

もちろん昨日のワールドカップの試合の結果。
昨日は週末ということでグループのメンバーで飲んでいたら
ドイツVSアルゼンチン戦、イタリアVSウクライナ戦
両方とも観きってしまい、結局寝たのは午前7時。

昨日の試合、まぁ、実を言えば僕もそこまで
ドイツを応援しているわけじゃないんだけど、
ドイツとアルゼンチンでは縁があるのはどちらかといえば
ドイツの方だったし、あまりに周りがアルゼンチンを応援するので
とりあえずドイツの方をサポート。
負けず嫌いが混ざってます(笑
で、応援が効を奏したのかドイツは見事勝利。Gut!

だけど、負けたアルゼンチンの選手が涙を浮かべてる姿を見たときは
複雑な気分になりました。
全力をぶつけてそれでもなお達成できなかった悔しさ。
僕は人の涙にはほんと弱いので、その選手の涙を見て
なんだかこっちまでぐっときてました。

余談ですが、最近友人の数人が僕のことを「クラウチ」と呼びます。
クラウチはイングランドの選手で、その特徴は背の高さ。
得点をあげるとロボットダンスなんかもする選手。
なんでそう呼ばれるようになったかというと
多分背が高いことと、何となく名前の音声が似てるから?
いつの間にか呼ばれたのでよくは知らないんですけどね。

きっと多分ワールドカップが終わるまでの時限性の呼び名だな。

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