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出会いと別れ

3月・4月は昔から別れと出会いの季節。
出会いは何度あってもいいけど
別れは極力少なくなって欲しいもの。
そんな僕がこれから迎える別れが東京との別れ。

4月頭からは本格的に就職先の研修が始まるわけですが
その研修先は愛知県の豊橋という所。
おそらくその研修中には配属先が言われるはずだから
こうしてのんびりしてられるのももう僅かなわけです。
今日も部屋にあった大量の本を片付けたりと
身辺の整理をしてました。大変だったなぁ。

配属先が関東にならないとは限らないけど
それでも全国どこへ配属されるのか不明なので
とりあえずはここで東京とは別れることになるんじゃないかな。

東京生まれの神奈川育ち。
今まで旅行では他の地方に出かけたことはあれど
長期で他の地方で暮らすのは初めてなので
なんだか変な感じですよ。
今住んでる場所はなんだかんだいって好きだし
これからも好きだろうな、と思うし。

でも反面、自分の世界というのはいつだって
自分のいる所にあるんだと思ってたりします。
お話のようにどこか遠くに客観的にあるものじゃなく。

これから僕が行く場所での経験・出会い・生活が
また新しい僕の世界をつくる

そう考えると一層気持ちを引き締めかないと
いけないな、という感じ。

卒業式までもあと1日。

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チェリー

スピッツのチェリーは名曲だ

と僕は昔から思ってたりします。
まぁ、実際にこの曲はセールスでもかなり売れたようだし、
スピッツの全シングルの中でも売り上げトップに来ている
とのことでそれだけ人気があるのは確かなようです。

だけど僕にとってはさらにこの曲は意味があったりします。
といっても特別なにかの思い出につながるとか
そういうことでは別段ないんですけどね。
ただ、記憶を遡る限り、この曲が自分にとっては
J-POPを自分から聴き始めたきっかけだったんですよ。

最初に買ったCDも確かこれだったような気がするし(中古だけど)
ハモリやシンコペーション(その頃はそんな用語は知らなかったけど)
というものを体験的に知ったのもこの曲が最初。
ついでに曲を聞く時に、メロディだけじゃなくて
バックにかかる楽器やコーラスを聞く聞き方を始めたのも
この曲があったからじゃないかな、なんて。

なのでこの曲に出会ってなかったら学生指揮者だって
やってなかったかもしれないんだよなぁ。
だって学生指揮者は自分なりに音楽に対してこだわりがないと
できないと思うから。だからそう考えるとこの曲が
そういう僕の音楽へのアプローチを決めた気がするんです。
音楽に関わる時に僕の根底に流れている1曲なわけですね。

だけどそういうのを抜きにしても「チェリー」は単純にいい。
曲を聞くたびにそんな風に思います。
バックにかかるストリングスもいい感じだし
10年前の曲というのを感じさせない良さですよ。うーん。

ちなみになんでこんな話を始めたかというと
最近スピッツがシングルのベスト版を出したんだけど
そのベスト版全曲をPV付きでここで聞いたからなんですね~

上で挙げたYahooのサイトでは他にも
MONKEY MAJIKの「Around The World」(PVが怖い・笑)や
スキマスイッチの「ボクノート」が無料で聴けます。
手当たり次第に聴いてみるのもいいかも?

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ダ・ヴィンチ コード

甘く見てましたよ。ダ・ヴィンチ コード。

僕は昔から世間から注目されるされるものほど
距離を置くところがあって、それゆえ
リアルタイムでは「タイタニック」も見てないですし
「ハリーポッター」も「ロード・オブ・ザ・リング」も
未だにストーリーも知らなかったりします。
だからそういう系の話題になるとついていけない・・・。
は、はやく別の話題に誰かして・・・なんて思ってます
会話の中でビバークしてるわけ(笑

そんな訳で「ダ・ヴィンチ コード」も話題になってるのは
知ってたけど今まで見向きもしなかったんですね。
本としてはハードカバーのものしか出ていなかったし。
だけど最近単行本(全3巻)が出てから心がぐらっと動いた。

単行本なら買いやすいかも

見事に出版社の思惑にはまり上巻を買ってみたわけです。
場合によっては上巻までで引き返そうかな、なんて思いながら。
そしたら気づけば下巻までしっかり買って読み終わってた。
予想してたのより面白い。もっと早く読んでおけばよかった。

大まかな内容としては謎解きのアドベンチャーのような感じで
前にみた映画「ナショナル・トレジャー」につながる所があるけど
「ダ・ヴィンチ コード」の方は史実に基づいていて
しかも題材となってるのが誰でも知っているような
有名な絵であるとこが惹きつけられるポイントだと思うんですよね。

話の軸としてキリスト教の歴史が出てくるし、
後は黄金比や数列の話もでてくるんですね。
そして当然ダ・ヴィンチの絵はいくつも出てくるから
世界史・美術・数学に興味がある人にとってはおもしろいんじゃないかな。
とりあえず僕はもう一度世界史や数学を勉強したくなりました(笑

読むなら単行本になった今がチャンスです。

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2次会はアイスクリームで

昨日は所属していた他大学とのジョイント合唱団での同期の飲み会。
お世話になったピアニストの先生にも来て頂き
趣旨和やかな飲み会でしたよ。

そして2次会はなぜだかハーゲンダッツ。
メンバーの一人の提案により、
先生を含めたメンバー全員(10人以上)で
そのままアイスクリーム屋に移動したわけです。
ハーゲンダッツのアイスクリーム屋は初めてだったんだけど
やっぱメニューも値段も格が違うわ、という率直な感想。
うーん。31アイスクリームの方が親しみ安いかも。

帰りはピアニストの先生と最寄り駅が近いから
2人で帰ったんですが、色んな話ができて楽しかったですよ。
同じ音楽の話ができて、しかも先生の方は経験の厚みが違うので
普通に話していてもこっちは教わることが多い感じで。
大学生活の中で出会えて良かったと感謝している人のひとりです。

そうそう、その先生から聞いた話なんだけど
うちのサークルの昔の代は現役の時に使っていた
合宿場を使って同窓会のようなものをやったことが
あったんだとか。へぇ、そんなことが、という感じ。
そのうち企画してみようかな。

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失われていくもの

今、僕が失おうとしているもの・・・

・・・それは「学割」

シリアスっぽいタイトル&書き出しですが
内容は全然シリアスじゃありませんよ(笑
そうなんです。もうすぐ卒業して
社会人になる僕にとって失って大きな痛手を
負うもののひとつが学割。

なんとか免許は昨年取ってあるので
学生証が取り上げられても身分証明には
困らないわけですが、学生でなくなる以上
「学割」ばっかしは取り上げられたら使えない。

「学割」が効くものって世の中には
結構たくさんあるもんで、例えば
ネット・携帯・アミューズメント・博物館
飛行機・列車・ショッピングetc・・・
こういうものって「学割」用の値段ってのが
設定されてるもんなんですよね。
これらが全部逃げてくわけですよ。僕の元から。
もうこうした享受が受けられないかと思うと
もっと学生やっとくんだった!なんて気持ちに・・・ちっ。

まだ学生の人達は今のうちに使わなきゃ損ですよー。

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ワガママ

『ワガママ』


なすがまま 
流されるのは自分らしくなくてつまらない

あるがまま
自然体でいるのが他人と違って気持ちいい

我がまま
自分のカタチを見せていくのはいんじゃない?

ワガママ
ほんの少しは人を振り回したっていんじゃない?



確か僕が中学生か高校生の頃、
よく耳にした言葉のひとつに「没個性」というのがあった。
その人の個性が埋没して周りと一緒になってしまっている
そんな風な意味だったと記憶している。
その「没個性」という言葉は今ではあまり
聞かれなくなった気がする。だけど、それは
世の中から「没個性」が消えたわけじゃなくて、
むしろ取り立てて言うまでもないくらい
「没個性」というものが世の中に
浸透してしまったせいじゃないかと思う。

とはいえ、周りに合わせる、というのも
それはそれでその人の意思のひとつではあると思う。
それが自分で選んだ選択肢であるならばだけど。
ただなんとなく、状況がそうだから、と
周りに流されるのは個性ではないけど
そうすることも自分で選んだのなら
それも個性に入れていいとは思います。

逆に、少しぐらいワガママな人は
そのままでいてもいいと思ったりします。
それを受け入れるくらいは世の中は寛容だと思うし。
むしろそうしたワガママが場を明るくし
現状の流れに変化を加え
新しいことへの始発点となるような気がするんですね。

個性に決まったカタチはないものだと思う。
自分の意思がそこにあるなら
外からみた形が同じでも違うカタチだと思うわけです。

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CDと写真とメッセージ

先日サークルの追いコンの際に
やっと受け取りました。演奏会のCD。

これは昨年末の演奏会の時に録音したものを
収録したCDなわけですが、聞けるのを
だいぶ前から楽しみにしていたので
家に帰ったらさっそく聞いてみました。

「やっぱ合唱はいいわー」

これが率直な感想。もちろんそれは
自分達が歌った演奏だからというのも
あるんだろうとは思いますよ。
でもそれならそれでもいいかな、なんて。
練習積んで、苦労してきた記憶もあるから
浮かぶCDを聞いての感想。
聞いてみるともっと上手く歌えたのに、とか
ここは指摘したいな、と思うとこがあるんだけど
良くも悪くもそれがうちの団のクセだと
思って聞くと、「これでもいいじゃん」なんて(笑

よしよし。さっそくMP3プレイヤーにも
落としとかなくては。

それにしても耳を澄まさないと
ベースの低音が聞き取れないのには
いつもと同じように軽くへこみますね。
音量的に足りないのはもちろんあるけど
音の性質的に低い音ってマイクに拾って
もらえないんだよなぁ。くぅ。

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滑走路

昨日は久しぶりのオールでした。
というのも昨日はサークルの追いコンだったから。
とうとう自分も追い出される方になってしまったのか
と思うと感慨深いような寂しいような、どちらかだか
判断つきかねる心境でしたね。

僕は追い出す側だった過去3回の追いコンの風景も覚えていて
それと一緒に卒団していった人達の姿も覚えているわけで、
だからその場所に自分がいるのがなんだかシックリこないような
そんな感じがしました。
それだけ上の先輩達が自分の中で大きな存在だったということですよ。
自分はどれだけそれに近づけたのかな、なんて思うわけですね。
そして同時に後輩達にとってどんなセンパイだったのかな、なんて。

昨日の追いコンでは1~3次会まで入れて色んな人と話せたんだけど
どうしても全員と話すことができなくてそれが残念・・・。
話したかったOG(そういやOBはいませんでしたね)・同期・後輩etc。
限られた時間だったので無理もないわけですがやっぱり話したかったですよ。
また今度会った時に話しましょう!

にしてもその頃は僕もすっかりOBだ。

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雪のある風景

東京の寒さも和らいできてる気がする。
こんな風に思うのは新潟から帰ってきたからですかね。
そうそう水曜から今日まで、僕は新潟に旅行してきました。

予想したよりは暖かかった気もするけど
それも日が出ているうちだけ。
朝から雨だった今日なんかは吹く風も冷たく
露出している耳は寒さのせいでかゆくて仕方なかったです。

それでも雪景色っての良かったですよ。
雪のある風景を言う時に「白銀」という言葉を使うことがあるけど
それもわかるな~、なんてしみじみ。
雪山の上から他の雪山の山頂にかかっている雪を見ると
なんだか神秘的な気持ちになりました。

他の雪国にも行ける日がくればいいな、と思うけど
これはあくまで旅行の話で、住むとなったら
また大きく事情も違うんだろうな・・・・。

さて、今日は久しぶりに家でゆっくり休みます。

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大量生産されるモノ

『大量生産』

外国で買ってきたその土地のお土産
日本に帰ってきて見つけてしまった同じもの
結構ショックを受けるもんです

ヒト モノ カネが国境を越える今の時代
その場所にしかないものを見つけるのが難しい

テレビを通して目にする世界の風景
CDショップで手に入る 行けなかったコンサートの演奏
外国で見かけた日本のコンビニ

どこでも同じものが手に入るという 便利さを手に入れた一方で
そこでしか手に入らないという 貴重さを失いつつあるんじゃないか

時代が進んで 昔不可能だったことが可能になってきた
でもそれは なんでもできるようになったことではなく
できることを選択して できないことも選択してきた

そういうことなんだと思うんです

科学や技術が進むにつれて、「できるようになったこと」
「可能になったこと」が取り上げられる機会が多くなったと思う。
それはそれで素晴らしいことだと思います。そこにかけられた
時間や努力に思いを巡らせれば、それを簡単に「分かる」とは
言えないものが費やされていて、ただそうしたものに
頭が下がる思いです。ただ、物事プラスの作用ばかりでは
ないはず。野球やサッカーでも、誰かが獲得されれば
逆に戦力外通知を受ける選手もいるわけです。
そういうことが日常にも言えるんじゃないか。
何かが「できるようになる」ということは、その陰で
何かが「できなくなっている」ことでもあるんです。
自分にとって捨ててはいけないものは何か?
それを忘れてると捨ててから後悔するものも
出てくるのかもしれない。そんな風に思います。

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知ってる星座はオリオン座

今日久々に星を見ました。
駅からの帰り道。なんとなく空を見上げると
若干雲がありつつもそこそこ晴れた夜空に
星がいくつも光ってるのが見えたわけです。

思えばこうやって星を見るのはどれくらいぶりだろう。

晴れてさえいればいつでも見れるはずなのに
意外と見てない空の星。
いつでも見れると思ってると見ないものだけど
実は見てるのに意識してない、というのが
ほんとのところでしょうか。

ちなみに僕が生涯で見た中で
一番心に残ってるのが、
まだ小学生の頃に冬の自然教室で見たオリオン座。

今でもオリオン座しか見分けられない辺りは
思いっきりシロートの観察家ですが(笑)
それでもその時見たオリオン座だけは今でもよく覚えてるんだよなぁ。

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人とのネットワーク

昨日も行って参りました。母校の合同練。
今年は母校の高校の合唱部が合同ステージということで
3回の練習が組まれてるんですが、昨日はその2回目。

昨日の練習は以前顧問をしてた先生が
練習をつけて下さったんですが・・・
・・・やっぱ先生だわ(感嘆)
なんていうか、指導の仕方や振る舞いを見れば
先生という職業をやってきたんだな、と分かる感じ。
思わず色々観察してしまいました(笑

ところで昨日は現役の学生指揮者から声をかけられたんですよ。
そのワケは、今度現役の方で信長貴富「思い出すために」を
歌いたいので、練習のポイントが知りたいとのこと。
「思い出すために」といえば僕が学指揮の時に練習をつけた曲。
楽譜を見れば注意事項やらメモでびっしりです。
もちろん返事はOKです。

その一方で僕は現役の時は定期演奏会委員長(ステマネのようなもの)
というものをしてたんですが、現在その役職についてる子とも
色々話をしました。仕事の事とか雑談とか。
でももう学年的には5代差ですよ。若い・・・。

にしても、こうして代が離れた子達とも
つながりというかネットワークができるのは
ありがたいことだと思いますね。
自分自身は若いままでいることはできないけど
若い代とつながりをもつことで色々力になることも
できるし、こっちも得るものもあるわけですからね。

それでも若さには目が眩むなぁ(笑

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心を打たれる敬虔さ

現実の世界で「敬虔」というものを
目にする機会はそうあるものではない気がする。
だけど僕が高校の頃、世界史の資料集を見ていて
人の敬虔さに心を打たれたといえる絵が
一つだけある。それがこれ

ジャン=フランソワ・ミレーの《晩鐘》という作品。
最初にこの絵を見た時、この絵の書かれた経緯や
背景については全く知らない状態だった。
だけどこの絵はそんなものがなくても
僕に強い印象を残すのには十分な何かを持ってた気がする。

鐘の音色に合わせ、死者へ祈りを捧げる農夫婦。
夕刻の畑で、鐘の音に合わせて死者のために天使の祈りをするように
祖母から教えられた、ミレーの幼い頃の思い出から描かれたとされるらしいが
背景に宗教がなくても、祈りには何か力がある。
そんなことを思わされた作品だったりするわけです。

僕が世界史が好きだった理由は、
時々こういう出会いがあるから
というのも大きかったと思います。

そうそう。同じくミレーの《落穂拾い》という絵もいいんだよなぁ。

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だけど版画は苦手

最近はめっきりしませんが
小学校の頃の僕は工作の好きな少年でした。

図書室に行って借りる本は小説か工作の本。
月刊「科学○○」とかいうのも借りてたなぁ。

ちなみその頃は木材や電子部品なんて買うお金もないし
何よりそれでは手間もかかる、ということで
例えば紙を丸めて棒状にしたり、堅めの箱を展開して
使ったりと、身近にあるものを代用して
工作の本に載ってるものを制作。
小学生の頃、厚生委員という石鹸を交換したりする
平凡な委員会に所属していたのは
そこで手に入る石鹸の空き箱が狙いだったような気が。

後はおもちゃ屋で見かけたものや
広告に載っているものを見ては
仕組みを自分なりに予想して、手作りできないか挑戦。
その頃、掲載されてる商品の仕組みを考えようと
集めた東急ハンズの広告70枚近くは
今も部屋の片隅にしまってあります。
うーん、思い出の品。

そういえば作ったものは教室に持っていって
友達に実際に遊んでもらったりもしてました。
こうした方がいいよ、とアドバイスをもらっては
手を加えて再び持っていったり。

だけど作ったものが机に積まれるにつれて
母親が眉をしかめてた記憶もあるけどね(笑

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メガネ人生

思えばメガネとの付き合いも長くなりました。
最初にメガネをかけたのは確か中学2年の頃。
すでに中学に入った頃から目は悪くなってた気がするけど
それまでは授業中も目を細めたりしながら耐えてた気がする。
ただ遠くから人に呼びかけられたときに、その人が
先輩かそれ以外かの区別がつかないと
どう反応していいのかに困った記憶がある。
・・・とりあえずどっちともとれるあいまいな挨拶。

とはいえ中学の部活はサッカーだったので
まさか接触プレーの多いサッカーでメガネをかけるわけもいかず
その頃裸眼とメガネの間を行ったり来たり。

それが高校を入る頃にはすっかりメガネ生活に。
確かこの頃に一度メガネを新しくしてます。
ところがそのメガネ、使い始めて1年半位経った頃に
絨毯に置いてあった所を踏むつけたため
早くもフレームが曲がるという災難に。
(災難というか自分の不注意ですけどね)。

目が悪いというのは本当に不便なもので
そもそもメガネ屋に行って新しいメガネを買おうと
鏡の前で色んなフレームを試してる時も、
目が悪いんだから鏡の中の姿がよく見えてない。
似合ってるのか似合ってないのか判断に困る・・・。

それはともかく今かけてるメガネは通算3つ目のメガネ。
度も合わなくなってきていたので
1月の終わりごろに新調しにいったわけです。

ところが

メガネを変えたのにも関わらず、今まで会った人で
僕がメガネに変えたことに気づいた人がゼロ。
サークル・ゼミ・バイト。はてまた親まで
気づいてないような気がするのは気のせいですか?

別に気づいてもらえなくてもいいんですが、
今回のメガネのブロンズのフレームの色を見て
現在台湾に留学していったとある後輩が
『鉄が錆びたような色』と言ったときは
「おーい」と思いました(笑

彼は今頃台湾で元気にやってるのでしょうか?

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世界の誰とでも6人でつながれる(2)

この考え方。ネットの世界にも
あてはめることができるんだとか。

例えば、とあるサイトから任意のサイトへ
リンクを辿っていくには平均して
何クリックすればいいのか。

これも研究による数字が出されていて
平均するとその数値は19クリック。
19クリックすればウェブ上の
どのサイトにもたどり着けるわけです。

19クリックというと
「6次の隔たり」から考えると多い気も
しなくはないと思うけど、2001年の時点で
ウェブ上のサイトの数は10億。
そう考えると6も19も大差はないよう。

で、人間関係で出てきた「6次の隔たり」
結構ロマンのある話に聞こえるけど
でもここでひとつの疑問。

実際にそんなことが可能なの?

答えとしては潜在的には可能。
だけど現実的には不可能に近いかも。
なぜかというと、社会的なネットワークは
ネットのリンクとは違って目に見える形ではないし、
誰から誰へとコネクションがあるかというのは
自分のこと以外把握できてないからなんですね。

例えばBさんはCさんと知り合いだろうと(思って)
手紙を渡したBさんがCさんとは面識がないこともあるし
思わぬ人がCさんへの人脈を持ってることもあるわけです。
こうしたネットワークの地図でも作らない限り
6人の知人を介しただけでは到底つながれない。

・・・残念。

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世界の誰とでも6人でつながれる。

なんだそう。

最近読み始めた文芸本があるのですが、
その本によると作者を始め
これまでの数学者・社会学者が
実験や計算を重ねてきた結果によると
人は誰とでも到達するまでに
平均して6人を介せばよいらしい。

これではなんのことか分からないので例を示すと、
例えば僕がアメリカのブッシュ現大統領に
知り合いづてに手紙を渡すと考える。

僕は近しい友人にその手紙をまず託すわけです。
するとその友人の父親は非政府団体の職員ということで
友人は父にその手紙を渡す。
父親には仕事上で知り合った外交官がいる。
そこでその外交官の友人に手紙を渡すと
その外交官にはアメリカの外交官の友人がいたので
アメリカの外交官に手紙が渡る。
その外交官はホワイトハウスの職員と交友関係があった。
そしてそのホワイトハウスの職員は大統領と
プライベートでも仲が良かったので手紙が渡された・・・。

このプロセスの中で僕から大統領に手紙が
届くまでに介した知人の輪は5人なわけです。
5人って結構少なくないですか?

もちろん実際これ通りの人間関係が
あるとは限らないけど(多分ないと思う)
潜在的な社会的なネットワークを辿ると
人というのは任意の人と平均6人でつながれるんだとか。
ちなみにこれを専門用語で
「6次の隔たり(six degrees of separation)」というそうです。

この考え方に従うと、僕が・・・

ハリウッドの俳優とつながるためには
エスキモーとつながるためには
ヴェニスのゴンドラ乗りとつながるには

平均して6人を介せばよいわけです。

・・・・すごい。

でもこの話、まるきり信じられなくはないんですよ。
特にmixiのようなSNSを利用してる人にとっては。
例えば僕の友人にA君という人がいて
A君の友達にB君という人がいるとすると
僕とB君は直接の知り合いではないけど
mixi上では(その気になれば現実にも)
A君という共通の知人を介せば
関係をつなげることはできるわけ。

となると現実にはmixi上にいる人は
潜在的に全員知り合いになることが可能ということ。

長くなったので(2)へ続く

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ザギンって今も使われてるのかな?

昔、ある人が

「銀座でコンビニを見つけるのは至難の業だ」

というようなことを言ったそうです。




・・・・まぁ、「ある人」って僕ですけどね。

いやね、昔から銀座に行くたびに
冒頭で言ったようなことを思ってたわけですよ。
銀座に行って、例えばATMでお金を下ろしたくなっても
これがなかなかコンビニが見つからない。

今日も散々歩きまわって「ampm」を発見したんだけど
ここのコンビニのATMが三井住友系のカードしか使えない。
そして僕が持ってるカードは東京三菱(UFJ)銀行・・・。

銀座という街は松坂屋本店やティファニー本店など
格式・歴史のある建物が表通りを占めているので
そんな中に、景観的にもコンビニは存在してはいけないと思うけど、
それにしてもなかなか見つからないのには閉口します。

さて、今日は銀座に行ったわけですが、
その目的は合唱のCDなんかを探しに行くこと。

普通の音楽店を想像してもらえばわかると思うんですが、
一般に合唱のCDや楽譜というのはどこでも手に入るものではなく
然るべき店に行かないと見つからないもの。

そんな中、銀座には楽譜の品揃えがよいYAMAHA銀座店と
輸入物の合唱CDも置いてある山野楽器本店が2つともあり、
僕の中では銀座は勝手に「合唱資料のメッカ」ともいうべき
重宝する場所になってます。

ちなみに僕自身はいける範囲のYAMAHAと山野楽器を
ネットか何かで調べたんだと思うけど、
楽譜探しにはもってこいだったので
卒団した合唱団では、以前に後輩の学生指揮者にも
一緒に連れて行って場所を教えたりしました。
すると、それ以来学指揮の中では
「銀座のYAMAHAに連れて行って場所を教える」のが
慣例になってるようで、今のところ僕の3つ下の代の
学生指揮者まで連れていってもらってるらしいです。
もはや伝統。

銀座に寄る機会があれば一度立ち寄って
みるのもいいですよ。もちろん合唱以外の楽譜や
POPSのCDなんかも揃っているので。

余談ですが、ブログのスキンを変更したんだけど
このイラストは実は東京・吉祥寺のとある場所の風景。
どこだかわかるかな?

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バッティングセンターの後遺症

土曜日。初めてバッティングセンターに行ってきました。
小さい頃、よく行ったデパートの屋上の片隅にバッティングマシーンが
置いてあったのは記憶にあるのですが(もうその屋上もなくなってしまったけど)
本物のバッティングセンターに行ったのは今回が初めて。
いやー、いい運動になりました。

ところが早速翌日現れました。バッティングセンターの後遺症…

…もちろんそれは筋肉痛。

いやね、筋肉痛になること位は予想してましたよ。
久しぶりの運動だったし、多めにやったんだから。
だけどこんなひどいもんだとは思わなんだ。
昨日は朝起きた時からひどい筋肉痛に
悩まされましたよ。それも全身・・・。

例えば朝出かけて電車に乗った時も
空いてる席に座ろうと腰掛けようとした途端

『ピキッ』

すかさず体を襲う筋肉痛。

「!?」

声にならない悲鳴

その痛みは今日になっても治まるどころか
どうやら体に居座ってる模様。

しかも咳をするだけで体に痛みが走るので
これでまるで中学のときに社会科で習った
「イタイイタイ病」です……。

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先へ送った宿題

今日は家にある大量のCDを整理していたわけです。

僕の部屋は楽譜やコピーした資料が大量にあり
それはそれで処理に困るものなんですが
同じくらいに扱いに困るのがラベルもの貼られず
山積みになっているCD-R達。

これらの殆どは練習用にMIDI(と呼ばれる音楽データ)を
録音したものや、ダビングした合唱の演奏なんだけど、
作ったときは後でラベルを貼ればいいや、
なんて言ってほっぽいといたので
今になって外から見たら

「これには一体何が入ってるんだ???」

という銀色の円盤ばかり溜まってるわけです。

で、実際にデッキに入れて再生し
中身を確認してはラベルを貼っていきました。
最初からこうしてればこんなことにはならないのに
という感じですけどね。
過去に大阪の合唱団とジョイントでやった
演奏会の録音音源とか本人が忘れていたものまで
出てきてちょっとした宝探し気分でした。



最近ずっと思ってたことなんだけど
手元にある楽譜やCDを見ると
やりたかった合唱曲でできなかったものも
多いんだな、ていう風に感じさせられます。

僕は下に弟がいるから、ていうわけでは
必ずしもないだろうけど、昔から
人を楽しませる、というか自分が感じた楽しさを
他の人にも感じさせたい、というパッションがあったりします。
実際楽しいと感じる・感じないはその人の自由なので
僕がやることはそうしたものを人の前に紹介するまでですけどどね。

でも、卒団した大学の合唱団でも軽い振り付けが入る曲だったり
エジプト・マケドニアの曲だったり、
アフリカの民謡だったり
そうした曲を紹介してきたのは、それがそうした気持ちに基づく
最初から僕がやりたいことだったからです。
だから今までやってきたことに後悔はないです。

でも、まだ足りないんですね。

僕自身、音源でしか聞いてないけどいい曲だと知ってる
曲はまだ他にもあるし、やりたい国の音楽も残ってます。
人数分印刷したまま残っているコピー譜もあります。

大学まででできなかったことだけど
それらはそれで終わりじゃなくて、
この先に残した宿題だと思って
それを消化する形をこの先も探してこうと思うわけです。

こういう宿題なら残っててもいいな、なんて思ったり。

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